止まらぬ新兵器の開発
2023年6月14日
先日のNHKの大河ドラマ「どうする家康」は、戦国時代に織田・徳川連合軍が武田軍を打ち破った設楽原の戦いについて描かれていた。一般には、合戦図屏風で有名な「長篠の合戦」の名で知られている。
現代の暦では1575年6月29日、合戦で初めて鉄砲が武器として大々的に使用されて、騎馬を中心とする武田軍に大勝したとされる戦いだ。十数年前、この古戦場跡を散策したことがある。合戦の在り方を革命的に変えた戦いの現場を実際に見たかったからだ。
愛知県豊橋市からJR飯田線に乗って1時間ほど。新城市・三河東郷駅から少し歩くと古戦場跡だ。小さい川をはさんで両側は田畑の緩やかな傾斜。あまり開発されてなく、地形は当時のままだろう。鉄砲隊が陣取った場所には、屏風図にもある木の柵が再現されている。
東に3キロ歩くと、籠城戦があった長篠城の跡。自然の要害だ。この辺りの位置関係は屏風図にある通り。古戦場跡と同様、普段は訪れる人は少ないようだ。本当にこの地であんな惨劇があったのか、想像するのは難しい。銃が人間を蹂躙する、その開始点に立っている思いもあってむなしさが募る。
設楽原以後、もはや個人の身体的能力よりも新兵器の充実度が勝敗を決する時代に入った。約450年経つ今も武器の開発はとどまらず、次々実戦に投入されている。どこかで歯止めをかけなければ、人類はますます人間性という至上の“武器”を失いそうだ。
現代の暦では1575年6月29日、合戦で初めて鉄砲が武器として大々的に使用されて、騎馬を中心とする武田軍に大勝したとされる戦いだ。十数年前、この古戦場跡を散策したことがある。合戦の在り方を革命的に変えた戦いの現場を実際に見たかったからだ。
愛知県豊橋市からJR飯田線に乗って1時間ほど。新城市・三河東郷駅から少し歩くと古戦場跡だ。小さい川をはさんで両側は田畑の緩やかな傾斜。あまり開発されてなく、地形は当時のままだろう。鉄砲隊が陣取った場所には、屏風図にもある木の柵が再現されている。
東に3キロ歩くと、籠城戦があった長篠城の跡。自然の要害だ。この辺りの位置関係は屏風図にある通り。古戦場跡と同様、普段は訪れる人は少ないようだ。本当にこの地であんな惨劇があったのか、想像するのは難しい。銃が人間を蹂躙する、その開始点に立っている思いもあってむなしさが募る。
設楽原以後、もはや個人の身体的能力よりも新兵器の充実度が勝敗を決する時代に入った。約450年経つ今も武器の開発はとどまらず、次々実戦に投入されている。どこかで歯止めをかけなければ、人類はますます人間性という至上の“武器”を失いそうだ。