父の居場所
2023年6月18日
明治生まれの祖父を回顧すると、いつも火鉢の前に座っていて大変怖い存在だった。正座する孫に何かと説教した。大正生まれの父はやはり居場所が決まっていて、こたつの奥。一番テレビが見える位置だ。
昭和中期生まれの自分も父の系譜を継いで、いつか居間の一画にどんと構えて子供を説教するかもと思っていたが、全く威厳を失っていた。第5回若山牧水賞の故・小高賢さんの歌集「家長」から「雨にうたれ戻りし居間の父という場所に座れば父になりゆく」。
外でつらい思いをしても、自宅に帰っていつもの居間の一画に座れば、自然と父親の風貌に変わるということだろうか。「鷗外の口ひげにみる不機嫌な明治の家長はわれらにとおき」という歌も。確かに文豪・森鷗外の写真を見ると、いかめしい表情に圧倒される思いだ。
ただ鷗外は大変な子煩悩だった。子供や孫に西洋風の名前を付けたことは知られているが、書簡集には大正7(1918)年ごろ「パパガバンノゴハンヲタベテイルトキニ セイヨウデハセンソウガオワリマシタ」と娘・杏奴(あんぬ)に出した手紙がある。パパという言い方はこのころ使われ始めたようだ。
家長制度は第2次世界大戦後に廃止され、平成、令和と時代を経るにつれて、父の居場所も定まらなくなった。父も家にしばられず自由になって、家族と新たな関係を築いている。どこにあっても子供への愛情はあまり変わっていないのでは、と思う父の日。
昭和中期生まれの自分も父の系譜を継いで、いつか居間の一画にどんと構えて子供を説教するかもと思っていたが、全く威厳を失っていた。第5回若山牧水賞の故・小高賢さんの歌集「家長」から「雨にうたれ戻りし居間の父という場所に座れば父になりゆく」。
外でつらい思いをしても、自宅に帰っていつもの居間の一画に座れば、自然と父親の風貌に変わるということだろうか。「鷗外の口ひげにみる不機嫌な明治の家長はわれらにとおき」という歌も。確かに文豪・森鷗外の写真を見ると、いかめしい表情に圧倒される思いだ。
ただ鷗外は大変な子煩悩だった。子供や孫に西洋風の名前を付けたことは知られているが、書簡集には大正7(1918)年ごろ「パパガバンノゴハンヲタベテイルトキニ セイヨウデハセンソウガオワリマシタ」と娘・杏奴(あんぬ)に出した手紙がある。パパという言い方はこのころ使われ始めたようだ。
家長制度は第2次世界大戦後に廃止され、平成、令和と時代を経るにつれて、父の居場所も定まらなくなった。父も家にしばられず自由になって、家族と新たな関係を築いている。どこにあっても子供への愛情はあまり変わっていないのでは、と思う父の日。