山村の知恵伝える
2023年6月25日
暮らしの中に神楽や昔ながらの風習が色濃く残る椎葉村。その中でも日本で唯一とされる伝統的な焼き畑農法をかたくなに守り、山で生きるための知恵を来訪する人々に語ったこの人の役割は大変に大きい。
99歳で亡くなった椎葉クニ子さん。村の中心からさらに車で1時間ほど入った向山(むかいやま)・日添(ひぞえ)地区で、夫の故・秀行さんと先祖伝来の焼き畑を伝えてきた。研究者らに注目され、夫婦の存在がメディアで広く知られるようになって、多くの研究者やマスコミが訪れた。
農作業を中断してサービス精神を発揮していたクニ子さん、温厚な人柄だった秀行さんもさすがに参り、周囲から勧められて民宿「焼畑」を開いた。関心を持つ人々が集まり、ふさわしいお代をいただくことで、焼き畑を地域活性化に役立てられないかとも考えたという。
だれもがクニ子さんの笑顔と楽しいおしゃべりに魅了された。山村の知恵、とりわけ植物の豊富な知識と抜群の記憶力にも驚嘆した。90年代中頃、民話の取材で3泊したが、季節の野草、シカ肉やヤマメ、焼き豆腐など珍しい食材に感激した。毒があるとされる野草も料理次第で食べられるという。
取材に詰まると「それならあの人に聞いて」とすかさずクニ子さん。興が乗るとおもむろにセンブリやキハダをつけこんだ自家製の焼酎を振る舞った秀行さん。いかにも作られた”山の幸”とは全く違う、長年営んできた生活の厚さ。日本の古里を感じさせた。
99歳で亡くなった椎葉クニ子さん。村の中心からさらに車で1時間ほど入った向山(むかいやま)・日添(ひぞえ)地区で、夫の故・秀行さんと先祖伝来の焼き畑を伝えてきた。研究者らに注目され、夫婦の存在がメディアで広く知られるようになって、多くの研究者やマスコミが訪れた。
農作業を中断してサービス精神を発揮していたクニ子さん、温厚な人柄だった秀行さんもさすがに参り、周囲から勧められて民宿「焼畑」を開いた。関心を持つ人々が集まり、ふさわしいお代をいただくことで、焼き畑を地域活性化に役立てられないかとも考えたという。
だれもがクニ子さんの笑顔と楽しいおしゃべりに魅了された。山村の知恵、とりわけ植物の豊富な知識と抜群の記憶力にも驚嘆した。90年代中頃、民話の取材で3泊したが、季節の野草、シカ肉やヤマメ、焼き豆腐など珍しい食材に感激した。毒があるとされる野草も料理次第で食べられるという。
取材に詰まると「それならあの人に聞いて」とすかさずクニ子さん。興が乗るとおもむろにセンブリやキハダをつけこんだ自家製の焼酎を振る舞った秀行さん。いかにも作られた”山の幸”とは全く違う、長年営んできた生活の厚さ。日本の古里を感じさせた。