「内憂」を抱えての戦争
2023年6月27日
1905年に起きた日比谷焼き打ち事件は、日露戦争の講和条約であるポーツマス条約に怒った群衆が起こした暴動である。この講和会議に日本側の全権として臨んだのが日南出身の外交官・小村寿太郎だ。
民衆が怒ったのは「日本は勝ったのに賠償金も取れなかった」というもの。しかし「勝利」とは名ばかりで、日本、ロシア双方が戦争をこれ以上続けることはできない事情があったというのが現実だった。このとき日本はすでに兵力も武器も尽きかけていたのだ。
一方、ロシアはというと、デモ中の労働者が軍に銃撃された「血の日曜日事件」に端を発した第1次ロシア革命が勃発。他国と戦争をしている場合ではなくなっていた。「内憂外患」なる言葉があるが、戦争は「内憂」を抱えて続けられるものではないということだろう。
ウクライナ侵攻を続けるロシアにとって、まさに降って湧いた「内憂」ではなかったか。ロシアの民間軍事会社ワグネルが、正規軍との武力衝突の末に首都モスクワへ向けて進撃。一時は内乱に発展する事態も懸念されたが,ワグネルは進軍を停止。ロシア側もワグネル戦闘員への免罪を表明した。
謎の残る結末だが、まずは最悪の事態を避けられてよかった。できればこの「内憂」がロシアに侵攻継続を断念させる契機になってくれればなおよかったのだが…。当時の人々には理解されなかった小村の偉大な功績を頭に浮かべつつ、そんなことを考えた。
民衆が怒ったのは「日本は勝ったのに賠償金も取れなかった」というもの。しかし「勝利」とは名ばかりで、日本、ロシア双方が戦争をこれ以上続けることはできない事情があったというのが現実だった。このとき日本はすでに兵力も武器も尽きかけていたのだ。
一方、ロシアはというと、デモ中の労働者が軍に銃撃された「血の日曜日事件」に端を発した第1次ロシア革命が勃発。他国と戦争をしている場合ではなくなっていた。「内憂外患」なる言葉があるが、戦争は「内憂」を抱えて続けられるものではないということだろう。
ウクライナ侵攻を続けるロシアにとって、まさに降って湧いた「内憂」ではなかったか。ロシアの民間軍事会社ワグネルが、正規軍との武力衝突の末に首都モスクワへ向けて進撃。一時は内乱に発展する事態も懸念されたが,ワグネルは進軍を停止。ロシア側もワグネル戦闘員への免罪を表明した。
謎の残る結末だが、まずは最悪の事態を避けられてよかった。できればこの「内憂」がロシアに侵攻継続を断念させる契機になってくれればなおよかったのだが…。当時の人々には理解されなかった小村の偉大な功績を頭に浮かべつつ、そんなことを考えた。