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子をたたく痛み

2023年7月25日
 自宅が細い道を隔てて公園の真ん前にあるため、最近は目覚まし時計より先にセミに起こされることの方が多い。よくもまあ、あんなに鳴けるものだ。セミの大合唱を耳にするたびに、思い出す短歌がある。

 〈身ぶるひをしつつ鳴く蝉(せみ)見てをれば一匹一匹に渾身(こんしん)といふ文字〉(八汐阿津子(やしおあつこ)。昔、本紙「みやざき歌の窓」に載った。「渾身」が言い得て妙だ。芭蕉の〈閑(しずか)さや岩にしみ入る蝉の声〉を持ち出すまでもなく、セミを詠んだ短歌、俳句は枚挙にいとまがない。

 その一つに、秋元不死男(1901~77年)の〈子を殴(う)ちしながき一瞬天の蝉〉がある。何かしらの理由で、思わずわが子に手を挙げてしまった。しかしその瞬間、ハッと我に返り、呆然としてしまった。時間が止まったかのような「ながき一瞬」とはそういうことだろう。

 同じような経験を持つ方もおられよう。普通なら子どもをたたいてしまえば親の心もまた”痛む”はず。だが悲しいかな、そうではないかのような現実もある。直近では神戸市の6歳男児殺害。2月には同じく神戸市で生後3カ月の女の赤ちゃん、6月には三重で4歳女児が母親に虐待され死亡した。

 何とも気が滅入る。いずれも事件の詳細はこれから明らかになっていくだろうが容疑者らはいつか自分のしたことに向き合い、心の痛みにさいなまれる日がくるのだろうか。「甘露忌」と呼ばれる不死男の忌日は、きょう7月25日。その日を前にふと考えた。

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