本県でも原爆の体験
2023年8月6日
1945年8月6日午前8時15分、広島市に原爆が投下され十数万人が犠牲になった。永野寛さん(宮崎市)の父はその日、帰省先の本県から広島の連隊に戻るため汽車に乗り、午前7時に到着予定だった。
汽車が2時間遅れたため助かったが、広島は地獄のような惨状。あちこちで火災が起き電車は横転、人々の無残な焼死体があふれていた。放射能がまだ残る中、父は3カ月ほど救助活動や片付け、死体の焼却などに従事。本県に戻った時は虚脱状態だったという。
2年前の8月に発刊した「私は平和の中で生きたい」(鉱脈社)という本にある回顧。同書は「安保法制訴訟みやざきの会」が宮崎地裁に提出した103通の陳述書をまとめたものだ。同会は、2016年に施行された安保関連法に反対してきた市民と弁護士らでつくる。
なぜ原告となったのかそれぞれの思いを記している。第2次世界大戦における空襲、疎開、敗戦から復興などの体験もあって、歴史的な事件が最近の出来事のように生々しい。裁判の過程から生まれた本だが体験した事実は重い。それぞれが貴重な記録だ。体験談は話し手が身近なほど切実に伝わる。
広島、長崎の原爆についても実際に広島で救援に当たった人もいる。父が広島で母が長崎で被爆した人、長崎で兄と姉を失った祖母など本県にも関係者が多くいて、今なお苦しんでいる事実に衝撃を受ける。遠い昔の話ではないというメッセージも伝わった。
汽車が2時間遅れたため助かったが、広島は地獄のような惨状。あちこちで火災が起き電車は横転、人々の無残な焼死体があふれていた。放射能がまだ残る中、父は3カ月ほど救助活動や片付け、死体の焼却などに従事。本県に戻った時は虚脱状態だったという。
2年前の8月に発刊した「私は平和の中で生きたい」(鉱脈社)という本にある回顧。同書は「安保法制訴訟みやざきの会」が宮崎地裁に提出した103通の陳述書をまとめたものだ。同会は、2016年に施行された安保関連法に反対してきた市民と弁護士らでつくる。
なぜ原告となったのかそれぞれの思いを記している。第2次世界大戦における空襲、疎開、敗戦から復興などの体験もあって、歴史的な事件が最近の出来事のように生々しい。裁判の過程から生まれた本だが体験した事実は重い。それぞれが貴重な記録だ。体験談は話し手が身近なほど切実に伝わる。
広島、長崎の原爆についても実際に広島で救援に当たった人もいる。父が広島で母が長崎で被爆した人、長崎で兄と姉を失った祖母など本県にも関係者が多くいて、今なお苦しんでいる事実に衝撃を受ける。遠い昔の話ではないというメッセージも伝わった。