夢二と大震災
2023年8月25日
高鍋町美術館で「竹久夢二展 憧れの欧米への旅」(9月3日まで)を鑑賞した。大正ロマンがあふれる美人画で人気の画家・竹久夢二(1884~1934年)の世界が数多くの展示作品から堪能できた。
憂いのある表情が独特な美人画だけでなく、彼はまたグラフィックデザイナーとして、幅広く化粧水や楽譜、商店などをデザインしていたことも興味深い。そんな中で全くタッチも雰囲気も違うコーナーが目を引いた。「関東大震災スケッチ」と題された5点だ。
1923年9月1日に起きた大震災。そのころの夢二は商業美術を扱う「どんたく図案社」を設立しようと奔走していたが、大震災で印刷所が壊滅し計画は頓挫した。彼も大震災で人生の歯車を狂わされた被害者だったといえよう。彼は渋谷区の住居で大震災に遭遇した。
スケッチブックを手に被害の大きい下町へ出かけ、精力的に人々の営みを記録。焼け野原となった街並みや家屋を失って途方に暮れる親子などを黒一色のペンで描き新聞に21回連載した。焼け野原の絵に「有りもせぬ事を言い触らすと処罰されます 警視庁」と書かれた張り紙が描き込まれている。
デマが横行し、子供が「自警団遊び」に興ずる世情に夢二は心を痛めていたようだ。人々の不安な気持ちにデマが忍び込む怖さは、SNSなどで情報が瞬く間に拡散する現代ではさらに深刻だ。大震災から100年を前に確かな情報伝達の必要性を痛感した。
憂いのある表情が独特な美人画だけでなく、彼はまたグラフィックデザイナーとして、幅広く化粧水や楽譜、商店などをデザインしていたことも興味深い。そんな中で全くタッチも雰囲気も違うコーナーが目を引いた。「関東大震災スケッチ」と題された5点だ。
1923年9月1日に起きた大震災。そのころの夢二は商業美術を扱う「どんたく図案社」を設立しようと奔走していたが、大震災で印刷所が壊滅し計画は頓挫した。彼も大震災で人生の歯車を狂わされた被害者だったといえよう。彼は渋谷区の住居で大震災に遭遇した。
スケッチブックを手に被害の大きい下町へ出かけ、精力的に人々の営みを記録。焼け野原となった街並みや家屋を失って途方に暮れる親子などを黒一色のペンで描き新聞に21回連載した。焼け野原の絵に「有りもせぬ事を言い触らすと処罰されます 警視庁」と書かれた張り紙が描き込まれている。
デマが横行し、子供が「自警団遊び」に興ずる世情に夢二は心を痛めていたようだ。人々の不安な気持ちにデマが忍び込む怖さは、SNSなどで情報が瞬く間に拡散する現代ではさらに深刻だ。大震災から100年を前に確かな情報伝達の必要性を痛感した。