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記事の背景にあるもの

2023年10月15日
 ある日の取材。相手はこちらの質問に一つ一つ丁寧に答えてくれる。そして最後の最後。記事にならない補足の質問に対しても「間違いがあってはいけないのでもう一度調べて再度こちらから連絡します」。

 「お忙しい中、すみません」と、ただただ恐縮。こんなやりとりを、記者になって幾度となく繰り返してきた。相手は自身の答えやコメントがそのまま新聞に載る可能性があるから、どんな小さなことにも正確を期すのだろうが、それにしてもありがたいことだ。

 こうして信用できる相手に電話し、できる限り直接会い、もちろん現場にも足を運び、初めて記事は新聞に載る。どんな小さな記事も例外ではない。その時間と労力が背景にあるからこそ総務省の調査でも、いまだ新聞に対する信頼は高い水準を保っていられるのだろう。

 昨年、自国の市民らに投降を呼び掛けるウクライナのゼレンスキー大統領の動画が話題になった。完全な偽動画だが、実に巧妙に作られており、だまされた人もいたはずだ。技術が高度に進歩すればするほど、何が本当でうそかが分からなくなってしまう皮肉。情報環境は混とんとする一方である。

 偽情報はないが新聞も間違うことはある。それでも「新聞の情報だから」と信じ続けてもらえるよう、日々正確なニュースを届けるべく全国の新聞に携わる者が努力し続けているのも事実である―と、新聞週間の初日ゆえの手前みそ、何とぞご容赦願いたい。

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