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「死ぬ時節」に逆らう

2024年1月9日
 意訳するとこうだ。「災難に遭う時節には、災難に遭うのがよいのです。死ぬ時節には死ぬのがよいのです」。これは、おなじみ江戸時代後期の禅僧・良寛が親交のあった山田杜皐(とこう)という俳人にあてた書簡。

 1828年の暮れ、現在の新潟県三条市付近で推定マグニチュード6・9の地震が発生。甚大な被害をもたらした。杜皐は、この地震で子どもを亡くした。それに対して良寛が送った見舞いの手紙の一節が冒頭のものだ。ただ決して突き放しているわけではない。

 この一節の前には杜皐の痛みに思いをはせるかのような歌も詠んでいる。「定本良寛全集」(中央公論新社)によるとこの言葉には良寛の自然順応の思想がよく表れているそうだ。そして杜皐も良寛のこの言葉のいわんとするところを理解したのではないかと言われている。

 とはいえ、常人のわれわれには、この境地に達するのは難しい。石川県で最大震度7を観測した能登半島地震から、きのうで1週間。過去の大災害のときもそうだが被害の全容を伝えようとするこれまでの報道が、家族をはじめ大切な人を失った人々に焦点を当てたものに変わってくる時期である。

 新聞やテレビで報じられる、そうした人々の言葉や表情などによって災害の悲惨さを再認識させられる。きのうは安否不明者が100人以上増えた。決して諦めまい。「死ぬ時節」など誰にも決められないと、助かる可能性のある命を一つでも、二つでも―。

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