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目安箱

2024年1月23日
 江戸の目安箱は、将軍吉宗の時代に庶民の声を聞くため幕府裁定機関だった評定所の門前に置かれた。将軍の手で解錠し、貧しい人向けの養生所開設や町火消しを含む防火体制の整備など提言は生かされた。

 弘化4(1847)年のこと。50両と「今度の信州大地震で、農民たちの苦しみはいかばかりかと胸がいたむ。信州には(幕府から)御救金(おたすけきん)が出るはずだから、その一部にでも加えてほしい」と書かれた手紙が入っていた(明田鉄男編著「江戸10万日全記録」)。

 信州大地震は「にわかに大地が震えだし、家屋をくつがえし、圧(おし)に打たれて即死するもの幾千人。ほどなく倒れた家より火が出て、大火となる。各地で大地が裂け、洪水あふれ、たまたま生き残ったものも、米穀尽きて飢え道路に悲泣(ひきゅう)す」と記録されている大震災である。

 高鍋西小の児童たちが校内で義援金を募って、集まったお金を日本赤十字社高鍋町分区に渡したという。また生徒からの提案で小林市内のすべての小中学校に募金箱が置かれた。姉妹都市・能登町の児童生徒らに義援金を募る「おこづかい募金」。こんな温かい心の子どもたちがいることを誇りに思う。

 目安箱の小判を見た将軍や提言を読み上げる係の役人は驚いただろう。提供者の願いかなって御救金が出たかどうかは手元の史料にはないが善意に心は動かされたはずだ。大人任せにしない子どもがいる。国任せにせずできる限りのことはやらねば。私たちも。

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