地図と歴史の旅
2024年3月13日
スマホや車のナビで済ますことが多い地図。しかし従来の紙の地図も捨てがたい。地形や記号、地名を眺めていると自然や人々の物語が想像できる。宮日会館で地図を主役にしたユニークな催しが開催中だ。
元高校地理教諭の甲斐嗣朗さん(78)が、旅先で集めた地図や教材で作成した地図などを展示する。ドイツは1990年の統一直前に訪れた時に手に入れた地図と現在の地図を比較。宮崎市の大塚台団地は造成前の昭和40年代初期の地図から地形の変化を読み取る。
地図作成時はインクの途切れないドイツ製のペンを使用。えびの市のクルソン峡に至るトロッコ軌道跡の地図作成をめぐっては思わぬ発見、出会いもあった。国有形登録文化財で「めがね橋」で親しまれている三連アーチの石橋を調べる中で、施工業者の子孫と出会った。
熊本営林局の発注だった橋の工事を請け負ったのは肥田佐兵衛という人。石橋の専門家による近年の研究で、鹿児島県串木野の業者とは判明していたが、詳しくは不明だった。だが甲斐さんによる調査で、串木野の子孫方に昭和3(1928)年竣工時の貴重な写真が保管されていることが分かった。
会場にはその写真も展示。昨日は佐兵衛の孫の肥田守さん(66)が来訪し「床の間の古い写真が、どこの橋かずっと分からなかった。今も橋がえびので大事にされていると知ってうれしい」と喜んでいた。甲斐さんの地図と歴史をめぐる旅は今後も続きそうだ。
元高校地理教諭の甲斐嗣朗さん(78)が、旅先で集めた地図や教材で作成した地図などを展示する。ドイツは1990年の統一直前に訪れた時に手に入れた地図と現在の地図を比較。宮崎市の大塚台団地は造成前の昭和40年代初期の地図から地形の変化を読み取る。
地図作成時はインクの途切れないドイツ製のペンを使用。えびの市のクルソン峡に至るトロッコ軌道跡の地図作成をめぐっては思わぬ発見、出会いもあった。国有形登録文化財で「めがね橋」で親しまれている三連アーチの石橋を調べる中で、施工業者の子孫と出会った。
熊本営林局の発注だった橋の工事を請け負ったのは肥田佐兵衛という人。石橋の専門家による近年の研究で、鹿児島県串木野の業者とは判明していたが、詳しくは不明だった。だが甲斐さんによる調査で、串木野の子孫方に昭和3(1928)年竣工時の貴重な写真が保管されていることが分かった。
会場にはその写真も展示。昨日は佐兵衛の孫の肥田守さん(66)が来訪し「床の間の古い写真が、どこの橋かずっと分からなかった。今も橋がえびので大事にされていると知ってうれしい」と喜んでいた。甲斐さんの地図と歴史をめぐる旅は今後も続きそうだ。