国枝選手引退
2023年2月9日
◆障害者スポーツ発展に貢献◆
車いすテニスで長年、世界1位に君臨してきた国枝慎吾選手が引退した。男子シングルスでパラリンピックを3度制覇、四大大会で通算28度の優勝。障害者スポーツの認知度を高めるとともに、その可能性の道を開いた。功績をたたえ、鍛錬の過程をねぎらいたい。
国枝選手が引退を表明した1月、国際テニス連盟(ITF)はホームページのトップニュースで大々的に伝えた。健常者テニスのスーパースター並みの扱いだった。
9歳で脊髄腫瘍のために下半身が不自由になり、母親の勧めで小学6年からテニスを始めた。初めて世界ランキング1位に上り詰めたのは2006年。その後、通算582週、11年以上にわたり王座を守り続けた。
車いすテニスは通常のテニスと同じコートを使用し、2バウンドまでの返球が認められる点以外は、ほぼ同じルールだ。機敏に車いすを操作しつつ上半身を巧みに使ってストローク、ショットを続ける。技術、体力に加え戦略を練る知力も要する。こんな厳しい競技で、世界トップの力を継続してきたことはITFが指摘するように「信じ難い」偉業といえよう。
障害者競技に対するテニスの先進性も評価したい。ITFは1998年に国際車いすテニス連盟を統合。2000年代以降、全豪、全仏、ウィンブルドン、全米の四大大会に車いすの部が導入され、車いすテニスは一気に身近な存在となった。
ITF世界ランキングの車いす男子シングルスでポイントを持つ選手は計463人。463位のポーランド選手は68歳だ。四大大会での活躍によって、国枝選手は障害者スポーツのヒーローとなり、プロ宣言してスポンサーを集めて自活にも成功。パラアスリートの先駆者となった。同選手を目標にしているという16歳の小田凱人選手が先月の全豪オープンで準優勝し、後継者も着実に育っている。
近年、パラリンピックの盛況により障害者スポーツへの関心は高まる。しかし四大大会で毎年注目されるテニスとは違い、多くの競技では4年に1度のパラリンピック以外はメディアで伝えられる機会が少ない。競技団体の財政状況も厳しく、全体の環境整備には課題も多い。
国枝選手には障害者選手では初の国民栄誉賞授与が検討されている。受賞は全体の励みになろう。同選手は7日の引退会見で「(現役時代は)車いすテニスを社会的に認めさせることにこだわってきた。その活動は続いていく」と述べ、今後は自らも普及に取り組んでいく意欲を示した。社会の多様性、バリアフリー化にもつながる障害者スポーツ界の発展を応援したい。
車いすテニスで長年、世界1位に君臨してきた国枝慎吾選手が引退した。男子シングルスでパラリンピックを3度制覇、四大大会で通算28度の優勝。障害者スポーツの認知度を高めるとともに、その可能性の道を開いた。功績をたたえ、鍛錬の過程をねぎらいたい。
国枝選手が引退を表明した1月、国際テニス連盟(ITF)はホームページのトップニュースで大々的に伝えた。健常者テニスのスーパースター並みの扱いだった。
9歳で脊髄腫瘍のために下半身が不自由になり、母親の勧めで小学6年からテニスを始めた。初めて世界ランキング1位に上り詰めたのは2006年。その後、通算582週、11年以上にわたり王座を守り続けた。
車いすテニスは通常のテニスと同じコートを使用し、2バウンドまでの返球が認められる点以外は、ほぼ同じルールだ。機敏に車いすを操作しつつ上半身を巧みに使ってストローク、ショットを続ける。技術、体力に加え戦略を練る知力も要する。こんな厳しい競技で、世界トップの力を継続してきたことはITFが指摘するように「信じ難い」偉業といえよう。
障害者競技に対するテニスの先進性も評価したい。ITFは1998年に国際車いすテニス連盟を統合。2000年代以降、全豪、全仏、ウィンブルドン、全米の四大大会に車いすの部が導入され、車いすテニスは一気に身近な存在となった。
ITF世界ランキングの車いす男子シングルスでポイントを持つ選手は計463人。463位のポーランド選手は68歳だ。四大大会での活躍によって、国枝選手は障害者スポーツのヒーローとなり、プロ宣言してスポンサーを集めて自活にも成功。パラアスリートの先駆者となった。同選手を目標にしているという16歳の小田凱人選手が先月の全豪オープンで準優勝し、後継者も着実に育っている。
近年、パラリンピックの盛況により障害者スポーツへの関心は高まる。しかし四大大会で毎年注目されるテニスとは違い、多くの競技では4年に1度のパラリンピック以外はメディアで伝えられる機会が少ない。競技団体の財政状況も厳しく、全体の環境整備には課題も多い。
国枝選手には障害者選手では初の国民栄誉賞授与が検討されている。受賞は全体の励みになろう。同選手は7日の引退会見で「(現役時代は)車いすテニスを社会的に認めさせることにこだわってきた。その活動は続いていく」と述べ、今後は自らも普及に取り組んでいく意欲を示した。社会の多様性、バリアフリー化にもつながる障害者スポーツ界の発展を応援したい。