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終戦の日

2023年8月15日
◆非戦誓った「戦後」の継承を◆

 戦後78年となる「終戦の日」を迎えた。日本の近現代史は1945年を境にくっきり分かれる。明治維新から太平洋戦争の終結までが約77年。平和と非戦を守ってきた「戦後」は、帝国主義と戦争の時代をわずかに超えた。だが平和の側にあった振り子は今、大きく揺れている。

 ロシアがウクライナに攻め込んで間もなく1年半になる。市民生活を破壊するロシアのミサイル攻撃や、砲撃の応酬はやむ気配がない。ロシアへの経済制裁は資源や食料の価格を高騰させ、世界に重くのしかかる。

 ウクライナでの戦争は、台湾有事への連想を呼んだ。中国の軍拡と海洋進出、核・ミサイル開発にのめり込む北朝鮮。日本も防衛力増強に走っている。岸田文雄首相は防衛費の倍増や、反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有を決めた。

 台湾を訪問した自民党の麻生太郎副総裁は「戦う覚悟」を訴えた。戦後日本の底流を形づくってきた非戦の響きはかき消されがちだ。台湾に近い沖縄県の先島諸島は、有事に直面した場合の全島避難に不安を抱え、シェルター整備の支援を政府に求め始めた。

 戦争が始まるプロセスは複雑だ。戦いを回避しようとする外交は停滞しがちになる。交渉が難航しても妥協を探り続ければ国民に不満が鬱積(うっせき)する。批評家の小林秀雄は日米開戦を伝えるラジオ放送を聴いた。それまでの日米交渉に感じていたいら立ちが「『戦闘状態に入れり』のたった一言で雲散霧消した」と、当時の空気を記している。

 平和と戦争を二者択一で決められるほど、現代の国際関係は単純ではない。米国、中国、日本は互いに巨大な貿易相手国だ。気候変動、環境保全、高齢化といった共通の悩みもある。

 日本のサブカルチャーに対する中国の若者の関心は深い。相互依存の現実は多面的であり、暮らしに直結している。人々をあおり立てるような武張った言葉や行動よりはるかに重い。

 戦地の悲惨や空襲、原爆を、身をもって知る世代は少なくなった。だが、さまざまな記憶と記録が今につながっている。

 米中は覇権を競い、台湾、人権、先端技術を巡る日米と中国のあつれきは容易に解消しない。忍耐を強いられる局面もあるだろう。とりわけ現代史には加害の過去が深い陰影を刻んでいる。そこから生まれる知恵こそ、対立しつつも共存する道を照らし出すのではないか。

 「終戦」という言葉は敗戦をごまかすために使うのではない。戦いに終止符を打ち、非戦を誓った戦後の姿が投影されている。平和の振り子はどの位置にあるのか。それを冷静に確かめる日々を重ねたい。

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