映画『ディア・ファミリー』月川翔監督
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町工場を経営していた父親が、生まれつき心臓に疾患を持っていた幼い娘の命を救いたい一心で人工心臓の開発を始め、やがて、国内メーカーとして初めてIABP(大動脈内バルーンパンピング)バルーンカテーテルの商品化に成功し、世界で17万人もの命を救った、映画よりも劇的な実話を映画化した『ディア・ファミリー』が、14日より公開されている。
【画像】映画『ディア・ファミリー』記事中の肩もみシーン
医学に門外漢ながら人工心臓の研究開発に取り組む父、坪井宣政役に大泉洋、宣政を支える妻・陽子役に菅野美穂、心臓疾患を持つ娘・佳美に福本莉子、家族を支える長女・奈美役に川栄李奈、三女寿美役に新井美羽らが出演。
「不治の病で命が亡くなる悲劇としてより、多くの命が救われる前向きな希望への感動を伝えたいと思った」「映画づくりの一つの到達点に至る良いつくり方ができた」と語る月川翔監督に『ディア・ファミリー』までの“道のり”をひも解いた。
■多くの命が救われる前向きな希望を伝えたい
――『ディア・ファミリー』にはどのような経緯で携わったのですか?
【月川】WOWOWのドラマ『そして、生きる』(2019年)のプロデューサーから、こういう実話があって…、と話を聞いて、映画化するのであればぜひやりたい、と伝えていました。僕自身もちょうど、実話をベースにして、当事者の方たちのお話を聞きながら物語を紡いでいったら、いままでとは違った映画づくりができるのではないか、と企画を考えていたところだったので、映画化が決まって、正式にお話をいただいてうれしかったです。
――『君の膵臓をたべたい』から『君は月夜に光り輝く』『そして、生きる』まで、死生観にまつわる作品を手がけてきたことがつながっていると思いますか?
【月川】それはあると思いますね。ただ、今作は、不治の病で命が亡くなる悲劇としてより、多くの命が救われる前向きな希望を伝えたい、と思いました。心臓疾患の娘を救いたいという思いからはじまって、ある段階から、バルーンカテーテルを作って一人でも多くの人の命を救うということが家族みんなの目標になり、それが後半のクライマックスになっていく。ノンフィクション作家・清武英利さんが20年以上にわたりご家族と向き合ってきた膨大かつ緻密な取材ソースはもちろん、それをベースにした林民生さんの脚本も素晴らしかったと思います。
――本作を手がける上で心がけていたことはありますか?
【月川】実在の当事者の方たちや医療関係者が見て“間違っている”と思われないようにつくる、というのを目標に掲げ、実在のモデルである筒井宣政さん(東海メディカルプロダクツ会長)に何度もお話をうかがいに行きました。辛抱づよくつき合ってくださった宣政さんには感謝でいっぱいです。
――監督自身が2児の親であることの影響はありましたか?
【月川】自分の子どもがもしも…と、想像しながら作っていたところはあったかもしれないですね。それはおそらく大泉さんも菅野さんも同じだったのではないか、と。佳美がお父さんの肩をもみながら、ある大事な話をする場面で、当初は肩をもむ・もまれるの体勢のまま、せりふのやりとりをする予定でした。泣いていたとしてもその姿を直接相手に見せなくてすむから。しかし、いざ生身の役者たちがやってみるとちょっと違うな、と感じたんです。大泉さんも「振り返って佳美の目を見て話したい」とおっしゃって。今回、大泉さんとは父親同士、あえて2人だけで話し合うことも多かったように思います。
菅野さんは三女役の新井さんがちょっとした壁にぶつかっていた時に、そっと支えてくださっていました。お母さん役だからというだけでなく、子役たちのケアも含めてお母さんのような存在でいてくれました。
福本さんは自分が映っていないところ、例えば病室でみんなに顔を覗き込まれる場面などで、ほかのキャストのいい表情、いい芝居を引き出すような芝居をしてくださっていました。
川栄さんは演じる役にふさわしい仕草、声の出方、反応の仕方によって、作品の世界観にごく自然に溶け込めるんですよね。その安心感たるや!
大泉さん演じる宣政によって変わっていく医師・富岡進役の松村北斗さんも良かったですね。“家族”ではないキャラクターの一人として、この物語にどうかかわっていったらいいのか、「考えながらやってみようと思います」とおっしゃっていました。静かに熱くなる感じをうまく表現してくれたと思います。
■自己表現より観客の感情を導く職人になる
――映画監督にもさまざまなタイプがいることと思います。月川監督は?
【月川】いろいろなタイプの監督さんがいると思うのですが、僕は映画を自己表現としては捉えていないので、職人監督だと思っています。プロジェクトごとに自分なりの視点と、映像の文法を駆使して物語を届けることができるか。物語がどう届くと、どう表現されると、よりお客さんの心を打つだろうか、を常に考え、観客の感情を導くことに取り組んでいるタイプの監督だと思っています、自分では。
――そんな監督の原体験は?
【月川】そんなに映画少年というわけでもなく、高校生になるまで映画館にも行ったことがなかったのですが、テレビでやっている映画はよく見ていました。子どもの時に見て面白かった映画で、今でも理想の映画だと思っているのは、『ターミネーター2』(1991年、ジェームズ・キャメロン監督)。映画が好きになってから見ても面白いし、実際映画を撮るようになってから見直してもやっぱりすごい作品だと思います。構造、映像表現、ストーリーライン、全てが。『ターミネーター2』のような映画が1本でもつくれたら、それでもう十分だと思うかもしれません。
――なんだか意外です。
【月川】映画をつくり出したのは大学に入ってから。『ターミネーター2』に憧れていましたから、走る、殴る、銃を撃つといったアクション映画を好んでつくっていました。その後、東京藝術大学大学院映像研究科に進んで、いろいろな映画少年たちと出会い、映画史に詳しい先生たちと出会い、映画祭に出品して評価されるようなものを作ろうとして、何を作ったらいいかわからなくなるみたいな時期を経て、卒業して。映像ディレクターとして働き始めた2年目のある日、東京藝大の濱口竜介さんの卒業制作を見たんです。
打ちのめされました。濱口さんのような人が映画を作るべきで、僕の出る幕なんてないなって。その場に僕の大学時代の映画研究部の顧問の木村建哉 先生が来ていらっしゃって、その方は濱口さんの東大時代の先生でもあったんですね。僕は先生に「もう自分は映画はつくらなくていいと思います」と弱音を吐いたら、先生は「濱口さんと君は同じ土俵に立つ必要がない。君にはエンターテインメントという道があるじゃないか」と言われた瞬間に、生き残り方を見つけたと思ったというか。
僕は作家性ではなく、エンターテイメント職人として映画をつくっていけばいいんだ、という気づきが自分の中でようやく腑に落ちて。自分が目指したかったものって、そもそも『ターミネーター2』だったじゃないか、とつきものが落ちたみたいな瞬間があって。それから、プロジェクトごとに自分のやるべきことを考えて映画をつくっていく方向に舵を切ることができました。今、こうして映画監督を続けていられるのも、先生のおかげです。あの会話をしていなかったら、本当に辞めていたかもしれないです。
――映画監督という仕事を続けている上で大切にしていることは?
【月川】人を喜ばせたいっていうのが第1ですね。誰かに見てもらうことを前提に、どう驚かせようか、どう楽しませようか、みたいなことを常に考えているので。それは多分、自主映画をつくり始めた頃も、今も変わらないのかなと思います。今はお客様がどんな感情で楽しむだろうか、みたいなことを想像しながら、作っています。
――子どもの頃から大人になったら、人に喜んでもらえるような仕事に就きたいと思っていたんですか?
【月川】子どもの頃は競馬のジョッキーになりたかったんですよ。競馬学校を受験しようと真剣に取り組んでいた時期もあったんです。でも、そうだな…、一応喜ばせたいという気持ちもあったのかな。
――競馬で勝ってくれたら喜ぶ人はたくさんいますね。
【月川】怒る人もいると思いますけど(笑)。幼心に憧れたのは、ジョッキーが勝った後に、スタンド前に戻ってきて、何万という観衆に向き合っている写真を見て、いいなと思っていたので、人を沸かせるみたいなことはやっぱりやりたかったのかもしれないですね。映画をつくっている間は、大変なことの方が多いのですが、出来上がった映画を観て、喜ぶ人がいてくれれば、それで何とか救われるという感じです。
――今後の展望は?(取材後の5月31日、動画配信サービス「Netflix」で世界独占配信予定の作品の監督を務めていることが発表された)
【月川】配信サービスの普及によって、世界中の視聴者に作品をすぐ届けられる時代になったと思うので、日本だけでなく、世界に届く作品を作っていきたいな、と思っています。そんなことをあえて言わなくても当たり前の時代になってきていると思うので、日本の観客を喜ばせて、なおかつ世界の観客にも喜んでもらえる作品をつくれる土俵にちゃんと立てるように、意識していきたいと思っています。
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