インタビューに答える青木宣親選手
「どこの場所でも常に挑戦する気持ちは変わらない」
-昨年6月のエンゼルス戦で日本選手7人目となる日米通算2千安打を達成した。
打った瞬間はファンに喜んでもらい、幸せだった。その後は、多くの方に祝福してもらい、さらに自分は頑張らないといけないという気持ちになった。
-プロ14年目での達成だが、どのように感じているか。
最後の方はちょっと時間がかかったが、それまでは安打を重ねてこられた。頭部への死球による脳振とうの後遺症とか、ちょっと響いたかな。とは言っても、そういうことはつきものなのでしょうがない。
-アストロズ、ブルージェイズ、メッツと移籍した。どのような1年だったか。
トレード、戦力外を言い渡されたその日は残念だったが、自分は切り替えが早い。前向きに次で頑張るしかないと思って、悩んでいる暇はなかった。2千安打、投手も経験でき、いろいろあったが楽しい1年だった。
-2017年は打率2割7分7厘、93安打の結果だったが、どう捉えているか。
例年通りの結果。数字的には変わらないが、内容を見れば今年は良かった方だと思う。体の状態も良く、まだまだやれる。
-昨年3月にはワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表として3度目の出場を果たした。
一緒に過ごした期間が短く難しいかなと思ったが、とにかくチームが勝つために何が必要か、自分が感じたことを伝えた。経験のある選手も多く、プロ集団という感じがした。
-米大リーグと日本の違いは。
いっぱいある。まったく違う競技をやってるようなもの。投げる球や考え方、雰囲気とか。
-その米大リーグに挑戦するきっかけは何だったのか。
大学時代に出場した米国であった日米大学野球。米国に行かなければ選択肢になかった。後は時代の流れかな。野茂(英雄)さん、イチローさん、松井(秀喜)さんら活躍する先輩をテレビで見てメジャーを身近に感じ目指すようになった。
-新シーズンに向けひとことを。
どこの場所でも常に挑戦する気持ちは変わらない。そういう気持ちがなくなったら引退だと思う。早く球団が決まるといいが、どこのチームになるかまだわからない。決まった球団で結果を出すだけ。
-昨秋の九州高校野球大会で富島が準優勝し、延岡学園も4強入り。今春の選抜野球への出場が有力だ。
うれしい。延岡学園はよく甲子園に出ているが、富島は地元なのでびっくりした。選手たちが頑張ったからこそ。甲子園に行っても頑張ってほしい。必ずやれる。
(日向市のサンドーム日向で)