「死に物狂いで代表をつかむ」と東京五輪に向け練習に汗を流す李博=8月・鹿児島県薩摩川内市
「やれるだけやるしかない」
「アオキって響き、久しぶりに聞いたなぁ。やっぱいいですね」。バレーボール日本男子代表の李博(東レ)は屈託なく笑った。「アオキ」とは、李の母校、檍北小や檍中のこと。3歳から日向学院高を卒業する18歳まで過ごした地元・宮崎への愛着は強い。
バレーを始めたのはその檍北小4年のころ。中国女子代表の選手だった母の小茹さんに誘われた。中学までは特段目立つ選手ではなく「市の選抜」が最高。日向学院高への進学を決めた時も「勉強の方に比重を置きながら、好きなバレーができれば」くらいの気持ちだったという。
だが入学前、観戦に行った全日本高校選手権(春高バレー)県予選で日向学院が初優勝。「自分たちもやれるんじゃないのか」と、競技への熱が高まった。平日の練習時間は2時間と短かったが、その分「一球一球に集中して取り組んだ」。177センチだった身長も190センチまで伸びた。サイドアタッカーとして得点を量産し、チームを全国総体や「春高」出場に導いた。
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相手のブロックを置き去りにする速攻が、最大の武器のミドルブロッカー。ただ、このポジションに本格的に取り組み始めたのは、筑波大2年の冬からだという。
大学では、和気あいあいと楽しめていた高校時代とは一変、多い日は8、9時間行う練習や厳しい上下関係に戸惑った。サイドアタッカーとしても伸び悩んでいた中、全日本大学選手権で故・都沢凡夫監督から「ブロックだけしてこい」と、ほとんど練習したことのなかったミドルを命じられた。
「やれるだけやるしかない」。無心で動くと、ブロックだけでなく速攻も決まった。そこからは、ミドルの選手としての動きや技術を磨き急成長。2012年の全日本大学選手権を制すと、翌年、東レに入団。17年には、Vプレミアリーグ8年ぶりの王座獲得にも大きく貢献した。日本代表としても主力として呼ばれるようになっていった。
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8月、鹿児島県であった代表合宿では、速攻やブロック、得意のジャンプフローターサーブなどに、精力的に取り組む李の姿があった。開催国枠で出場が決まっている東京五輪に向け、自分より身長の高い2メートル超の選手としのぎを削る。
母・小茹さんと、陸上三段跳びの選手だった父の文懐さんも、それぞれの道で目指したという五輪。その舞台に立つことは家族の夢でもある。李本人は「そういう思いもなくはないが、意識しすぎないようにしている」とあくまで自然体を強調した上で「自分は今一番脂が乗っている。最初で最後の五輪だと思うし、死に物狂いで代表をつかみたい」と意気込む。
10月には福岡、広島でワールドカップが開催。世界の強豪との「前哨戦」で躍動できれば、夢にぐっと近づく。「高さでかなわなくてもスパイクの速さを磨き、課題のブロックも強化する。一日一日成長し、チームに必要な選手になる」。柔和な表情をきりっと引き締めた。
(2019年09月12日付紙面より)