2019年6月の日韓定期戦でプレーする原希美選手=東京(JHA Yukihito TAGUCHI提供)
「五輪選手になる」
延岡東小の卒業アルバムにつづった言葉「五輪選手になる」。ハンドボール女子の東京五輪代表が23日発表され、原希美選手(30)=延岡市出身、三重バイオレットアイリス=が夢をかなえた。この6年間で3度の手術を乗り越えてつかんだ晴れ舞台。家族や高校時代のチームメートらは「よくここまで頑張った」「思いっ切り楽しんで」とエールを送った。
小学校のころから背が高く、足も速かった。延岡中、宮崎学園高、日体大と進み、各年代で日の丸を背負った。大学4年で日本代表に選出され、2016年に主将へ就任した。ポジションは攻撃の柱・レフトバックで、相手に食らい付く守備も評価が高く、不動のレギュラーに定着。しかし、持ち味である体を張ったプレーの代償は大きく16、17年に左膝、19年の末には右膝にメスを入れた。
東京五輪へ必死のリハビリ、トレーニングを重ね、代表入りを決めた。父・久保(ひさほ)さん(58)は「ほっとしている。親には見せないけど練習だけでなく、食事管理や体のケアなど、相当努力したと思う。応援してくれる方々へ恩返しできるよう、精いっぱいプレーしてほしい」と声を弾ませた。
「彼女の良さは負けん気とひたむきさ。けがをしても諦めず、よく頑張った」。
そうたたえるのは、原選手を小学3年から4年間指導した県協会の和田保典理事長(58)。「ずっと国を背負って戦う重圧を感じてきたはず。集大成となる五輪は自分のために、笑顔で思いっ切り楽しんでほしい」と願った。
宮崎学園高講師で女子ハンド部コーチの黒木聖子さん(29)は原選手の1学年下で、同校と日体大で一緒にプレーした。「けがしても弱音を吐かず、いつも『前向きに頑張る』と言っていた。夢に突き進んだ先輩を誇りに思う」と話した。
(2021年06月24日付紙面より)