被災地車座トークから(上) ネットワーク三宅島代表 宮下加奈さん
2011年3月15日
過去の噴火災害の経験を新燃岳の被災者にも生かしてもらいたい―。13日に都城市と高原町で全国の被災体験者や専門家が集まって開かれた「被災地車座トーク」(日本災害復興学会復興支援委員会、関西学院大災害復興制度研究所主催)から、ネットワーク三宅島代表の宮下加奈さん(41)と減災・復興支援機構理事長の木村拓郎さん(62)の話を2回に分けて紹介する。
三宅島は約20年の周期で火山活動が活発化しています。2000年の噴火では大量の火山灰や火砕流、泥流が発生しました。東京都内への全島民の避難が決まった後、火山ガスが発生して避難は長期化。避難期間は短い人で約4年5カ月ですが、現在も避難している人はいます。
島の人口は噴火前に比べ約千人減少しました。終息後、釣りやダイビングで島を訪れる人はいますが、家族連れなどの観光客は少なくなりました。火山ガスの高濃度地域はもともと飲食店とか宿泊業、土産物店などが多かった地域でしたが、いまだに商売を再開できない状態です。いろいろなイベントを招致して活性化への努力はしていますが、噴火前の100%には戻っていません。
島内で避難している間は、災害の状況が全く見えなかったため、新燃岳の避難地域の人たちと一緒で本当に避難しなくちゃいけないのか、いつまで続くのか一切予想がつかなかったことがつらかったですね。島外避難をしてからは、島に入るための交通手段が船しかなく、自由に出入りができませんでした。その間、家の補修などができず、火山ガスや塩害で家がどんどん傷んでしまって、崩れてしまうのをただ見ているしかありませんでした。
民間のボランティアの皆さんには、降灰除去や家の片付けなど体力的な支援も求められていると思いますが、併せて精神的支援もお願いしたいですね。世界的に大きな災害が続いているため、新燃岳への関心が薄れつつありますが、携わる以上はいつまでも支えるという気持ちを表に出して、精神的に支え合うということも被災地では求められていると思います。
命があってこそなので、住民の皆さんは避難することを無駄だとか面倒だと思わず、危険だと感じたら自主的に避難できる方法を考えてほしいと思います。たまたま避難しなかったときに大きな災害があって、命を落としてしまうことほどばかばかしいことはないので、無駄だとか空振りばかりだとは思わず、空振りは幸せなことなんだと考えを変えていただくことが一番重要だと思います。
避難がおっくうにならないように、避難するときは「きょうは◯◯さんと夜通しおしゃべりができるな」などと、考えるのもいいのかなと思いますね。
また、自宅が高台にある方は、「うちに避難してきて」と普段から声掛けしてほしいし、避難する必要がある人は「何かあったら助けてね」というふうにお願いするというような地域の関係をつくってほしいです。避難所に行くよりもはるかに精神的にも肉体的にも楽だと思うので、そんなふうにしてもらうと良いと思います。
いつまで続くか分からず精神的にきついとは思いますが、必ず安心な生活が戻ってくるという信念を持って頑張っていただきたいです。
みやした・かな 東京都三宅島出身。1983(昭和58)年と2000年に噴火を経験。05年にネットワーク三宅島を創設し、被災体験などを中心に講演活動を行っている。減災・復興支援機構専務理事。
□ ■
三宅島は約20年の周期で火山活動が活発化しています。2000年の噴火では大量の火山灰や火砕流、泥流が発生しました。東京都内への全島民の避難が決まった後、火山ガスが発生して避難は長期化。避難期間は短い人で約4年5カ月ですが、現在も避難している人はいます。
島の人口は噴火前に比べ約千人減少しました。終息後、釣りやダイビングで島を訪れる人はいますが、家族連れなどの観光客は少なくなりました。火山ガスの高濃度地域はもともと飲食店とか宿泊業、土産物店などが多かった地域でしたが、いまだに商売を再開できない状態です。いろいろなイベントを招致して活性化への努力はしていますが、噴火前の100%には戻っていません。
島内で避難している間は、災害の状況が全く見えなかったため、新燃岳の避難地域の人たちと一緒で本当に避難しなくちゃいけないのか、いつまで続くのか一切予想がつかなかったことがつらかったですね。島外避難をしてからは、島に入るための交通手段が船しかなく、自由に出入りができませんでした。その間、家の補修などができず、火山ガスや塩害で家がどんどん傷んでしまって、崩れてしまうのをただ見ているしかありませんでした。
民間のボランティアの皆さんには、降灰除去や家の片付けなど体力的な支援も求められていると思いますが、併せて精神的支援もお願いしたいですね。世界的に大きな災害が続いているため、新燃岳への関心が薄れつつありますが、携わる以上はいつまでも支えるという気持ちを表に出して、精神的に支え合うということも被災地では求められていると思います。
命があってこそなので、住民の皆さんは避難することを無駄だとか面倒だと思わず、危険だと感じたら自主的に避難できる方法を考えてほしいと思います。たまたま避難しなかったときに大きな災害があって、命を落としてしまうことほどばかばかしいことはないので、無駄だとか空振りばかりだとは思わず、空振りは幸せなことなんだと考えを変えていただくことが一番重要だと思います。
避難がおっくうにならないように、避難するときは「きょうは◯◯さんと夜通しおしゃべりができるな」などと、考えるのもいいのかなと思いますね。
また、自宅が高台にある方は、「うちに避難してきて」と普段から声掛けしてほしいし、避難する必要がある人は「何かあったら助けてね」というふうにお願いするというような地域の関係をつくってほしいです。避難所に行くよりもはるかに精神的にも肉体的にも楽だと思うので、そんなふうにしてもらうと良いと思います。
いつまで続くか分からず精神的にきついとは思いますが、必ず安心な生活が戻ってくるという信念を持って頑張っていただきたいです。
みやした・かな 東京都三宅島出身。1983(昭和58)年と2000年に噴火を経験。05年にネットワーク三宅島を創設し、被災体験などを中心に講演活動を行っている。減災・復興支援機構専務理事。