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気仙沼よ~東日本大震災

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【現地からの報告】カツオ船戻ってくれば

2011年4月11日
■住民“絆”に希望託す 本紙記者ルポ

 【宮城県気仙沼市から本社報道部・中西透】折れた電柱や建物の2階に突っ込んだ車、陸に乗り上げた数百トン級の大型船。周囲を埋め尽くす大量のがれきは手付かずのままだ。「まだ復興と呼べる段階じゃない」。家や家族、仕事を失った住民たちは、疲れ切った表情で話した。東日本大震災発生から1カ月直前の10日、漁業を縁に日南市と強い結び付きがある宮城県気仙沼市に足を踏み入れた。

 津波で壊滅的な被害を受けた気仙沼港周辺に、内陸の岩手県一関市から車で近づいた。海が見えないうちから生臭いにおいが鼻を突く。「気仙沼港の底にたまっていたヘドロが町中に流れ込んでしまった」と地元の水産関係者。乾くと土ぼこりとなって舞い上がるため、行き交う住民はマスクを着けている。

 がれきをかき分けて作られた道を縫うように走り、魚市場に着いた。がらんとして、ほとんど人影はない。日南市のカツオ一本釣り漁船が水揚げをしていた場所は、所々コンクリートの土台が陥没し、水揚げ場の屋根が崩落。そこに流れ着いた養殖イカダが、からみついていた。

 魚市場3階の屋上から港を一望すると、あちこちに大きな石油貯蔵タンクが転がり、丸焼けになった漁船や造船所が見えた。周辺は広範囲で地盤が沈下しており、海水が染み込んでいた。一帯には加工場や保冷施設などの水産関連会社も数多く並んでいたが、ことごとく破壊された。

 近くを歩いていた水産加工場に勤める男性(42)は「家も仕事も失った。水産は基幹産業だから、水産がだめだと食っていけない」と沈痛な面持ち。めちゃくちゃになった会社事務所を見に来ていた50代の回船問屋経営者女性は「復興といっても、何から始めたらいいのか…。息子の遺体もこの近くで見つかったし、ここにはもう住みたくない」とため息をついた。

 「店も家も流され、残ったのはローンだけ。まだ復興という段階ではない」。港近くでは、飲食店経営及川幸恵さん(47)が崩れかかった飲食店の中から、まだ使えそうなテーブルなどを運び出していた。本県の漁師はよく来店するといい、震災後も真っ先に連絡をくれたという。「早く顔を見たい。店をたたみたいという人も多いが、6月にカツオ船が戻ってきてくれれば、頑張れる」。疲れ切った表情ながら「何とか希望を見いだしたい」、そんな様子がみてとれた。

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 宮城県北東端に位置する気仙沼市は人口約7万4千人。気仙沼港は生鮮カツオの水揚げ量が日本一で、フカヒレとともに全国に知られる。港は奥深く入り組み、日南市南郷町の漁師たちは「外浦港を一回り大きくしたような趣がある」と話す。そんな気仙沼市は、今回の震災で死者711人、行方不明者1416人を数え、今も8086人が避難所生活を余儀なくされている(9日現在)。

【写真】日南市のカツオ一本釣り漁船が水揚げをしていた場所もめちゃくちゃに破壊されていた=10日午前、宮城県気仙沼市・気仙沼港(本社報道部・中西記者写す)

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