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【カツオ水揚げへ】(1)復興の熱気

2011年6月2日
■港復旧工事急ピッチ

 がれきを積んだ大型トラックが何十台も行き交い、砂ぼこりが舞う。「マスクをしないと息苦しくてたまらない。すぐ体がほこりまみれになる」。作業員の男性は、ショベルカーの作業音に負けないように大きな声で話した。漁業を通じて日南市と縁の深い宮城県気仙沼市。壊滅的な被害を受けた東日本大震災から2カ月以上が過ぎた現在、気仙沼港を中心に復興への熱気があふれている。

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 気仙沼港は毎年6~11月、日南市の近海カツオ一本釣り漁船26隻を含め、各地の漁船が集まる全国屈指のカツオ漁の拠点だ。しかし震災で、漁師や市場関係者の威勢の良い声が飛び交う魚市場は1メートル近く地盤沈下。港沿岸のタンクからは燃油が海に流れ、多くの水産関連施設が炎上した。

 多くの市民が命の心配をしていた震災直後。港の再開など思いもよらなかった。しかし、沈んだ気持ちを奮い立たせたのは「カツオの水揚げなくして気仙沼復興はあり得ない」(熊谷浩幸・気仙沼漁協魚市場部長)との思いだった。

 がれきの山と化した港は徐々に整備が進み、復旧作業は大詰め。担当する同市の建設業小野良組の熊谷光太郎建築技術部長は「普通は1カ月で終わらない工事。だが、必ず(カツオの水揚げが再開する)6月中旬に完成させる」と力強く語った。

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 一方、復旧に手が回らない地域もある。魚市場周辺は冷凍していた魚が溶けて腐敗臭が漂い、ハエも多い。最も被害が大きかった同市鹿折地区は、大型船が打ち上げられたまま。気仙沼湾を臨む同市階上地区は土台しか残っていない家が何軒も並び、近くのJR気仙沼線の無人駅ホームは線路まで流されている。

 そんな被災地には、今もボランティアが多い。63歳男性は島根県からバイクで駆け付け、5月中旬から1週間テント生活しながらがれきの撤去を手伝ったと言う。物資もそろい始め、あるコンビニ店の店長は「最初は品薄だったが全国から優先的に品物を送ってくれる」と感謝していた。

 全国から復旧工事に携わる工事作業員も集まり、近隣の宿泊施設の多くは満室状態。岩手県一関市の旅館の女将は「気仙沼で仮設住宅を建てている作業員のお客さんは毎朝4時に起き、夜遅く旅館に戻ってくる」と言う。

 地元も、全国も、気仙沼復興へ走り始めている。

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 震災被害に遭いながら、今年もカツオの水揚げを予定している気仙沼市。再開の6月中旬を間近に控えた港や街の現状と課題、関係者の思いを伝える。

【写真】6月中旬の水揚げ再開に向けて急ピッチで復旧作業が進む気仙沼市魚市場。市場周辺は工事の音が響きわたっている

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