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あの瞬間、歴史が生まれた

みやざきコチョウラン物語

2020年3月30日
「幸福が飛んでくる」花の女王 慶事に人気

慶事に欠かせない「みやざきコチョウラン」

 優雅に舞うチョウのような花が何輪も連なり、「花の女王」とも呼ばれるコチョウラン。「幸福が飛んでくる」という花言葉も人気を呼び、開店祝いなどの慶事を華やかに彩る存在となっている。本県では、結束力を生かして全国トップクラスの産地をつくりあげ、今も若い力でさらなる高みを目指している。

酸性の土 転作のきっかけ

 県内で栽培が始まったのは1981(昭和56)年。宮崎市阿波岐原地区では当時、高級ネットメロンなどを栽培していたが、農地造成のため土地の調査を行ったところ、土壌の酸性度が高く、農作物に適した肥沃な土地ではないことが判明。「土を使わずにできる作物はないか」。農業者たちが新たな作物を探していたところ、JAからコチョウラン栽培の提案があった。

 コチョウランは、土に根を下ろさない着生植物。同地区の中原信幸さん(71)は「これまで作り続けてきたメロンが果物の王様だとすれば、コチョウランは花の女王。生産者の技術習得の意欲は高く、条件はぴったりだった」と導入の経緯を笑顔で振り返る。

 農業者やJAは力を合わせ、先進地の沖縄県などを視察して研究を開始。希望を胸に89年、藤原榮伸さん(前JA宮崎中央組合長)を含む農家19人で宮崎市洋ラン部会を立ち上げた。

失敗続き 団結力で乗り切る

定番の白色以外にも、花の色や大きさ、形などバリエーションに富むコチョウラン(宮崎日日新聞社提供)

 しかし、設立メンバーの中原常和さん(66)は「スタート当時は失敗ばかりで、何度も『もうやめようか』と思った」と吐露する。当初は産地としての知名度が低く、価格は低迷。収益力を上げようと密集栽培に挑戦したところ、病気で全滅するなど苦難の連続だった。

 そんな状況を打破したのは結束力だった。部会全体で失敗を共有し、栽培方法を模索。先進地の視察や新種の導入などを続け、空調機を導入して周年出荷体制を確立した。中原常和さんは「個人の失敗を無駄にせず、部会全員で取り組んだ結果。独りでは成功できなかったはず」と実感を込めた。

検討会を重ね 技術を継承

宮崎中央農協洋ラン部会の皆さん

 企業や個人ではなく、生産者が一致団結してコチョウランの栽培に取り組むのは全国でも珍しく、JA宮崎中央営農部果樹花卉課の押川浩二さんは、「試験栽培を計画化して行えるため、ゴールに近づくのが早い」とメリットを挙げる。また、資材の共同購入や共同出荷も取り入れ、結束力の強さを生かして右肩上がりの成長を続けた。
観賞花に欠かせない見た目にもこだわり続けた。「同じ苗を育てても、花の大きさや形、華やかさは生産者の腕次第で変わる」と押川さん。経験と技術を引き継ぐため、JAは毎月1回、農場に生産者を集めて現地研修会を開催。現在も続く品質向上の取り組みだ。

 地道な努力が実を結び、本県産のコチョウランは市場から高い評価を受け2004年、農林水産大臣賞を受賞。07年には販売金額5億円を突破し、一大産地の仲間入りを果たした。

若い力台頭 個々のレベルアップ

 現在、宮崎中央農協洋ラン部会は13戸。これまでに積み重ねた経験や技術力を引き継いだ2代目が、若い力を発揮して産地を明るく盛り上げている。最近では、大輪だけでなく、小ぶりな花の品種を導入するなど、個々の取り組みにも力を入れる。中原慎太郎会長(46)は「家族のように情報共有できるのが一番の強み。一人一人が責任を持ち、時代に合わせた花を作り続けたい」と目を輝かせた。