みやざきピーマン物語(下)
2017年12月4日
苦境を乗り越えた 日本一のプライド
生産量日本一となった宮崎の促成ピーマンだが、オイルショックで燃油が高騰し、全県一元出荷販売は頓挫。関係者は、窮地を乗り越えようと再び団結し、より強固な組織を築き上げていく。「日本一の産地を守り続ける」―。今でも受け継がれているプライドが醸成されていった。
徹底した省エネ対策
冬季ピーマン栽培には暖房が欠かせない。しかし、オイルショックで燃油は上がり続け、1979(昭和54)年4月のA重油価格は1㍑当たり30・8円が、8月には57・2円、12月には72・2円にまで上昇した。
関係者は徹底した省エネ対策に知恵を絞った。ハウスを覆うビニールを2重、3重にしたり温度管理を徹底したり、難局を乗り切るために農家一人一人が対策を続けた。
しかし、全県一元出荷販売を支えた共同計算委員会(共計委)が解散した後、JAごとの独自栽培、出荷となった県産ピーマンはブランド価値が停滞した。「もう一度一つになり、苦境をみんなで乗り越えよう」―。農家から声が上がり始めた。
引き継がれる教訓
本県ピーマン栽培を支えた原口春盛さん(78)は「一度解散した共計委を立て直すには、相当な努力が必要だった」と吐露する。解散の原因となった出荷調整や選別等級を見直すなど3年をかけて改革。新たに規約や検査規則を設け、89年10月1日、第2次共計委が発足した。生産量4万1600㌧、販売額100億を超える全国でも類を見ない一大組織が12年ぶりに復活し、宮崎日日新聞は1面で大きく報じた。
共計委は「出荷量日本一」の価値をさらに高めるため、品質にこだわった。赤果や腐敗果の発生を防ぐため、収穫や選別に携わる共計委の女性を中心に研修会を開催。月1回の委員会には県内全支部から支部長が集まり、情報を共有した。各農家が持ち寄ったノウハウは現在も引き継がれ、県内全体で「安全・安心」の意識を浸透させる土壌が出来上がった。
宮崎ピーマンのキャラクター「グリーンザウルス」
「日本一の産地を守り続ける」と誓う宮崎県促成ピーマン共同計算委員会委員長の泥谷和久さん
栄養機能食品として注目
共計委は、近年の健康志向の高まりを受け、ピーマンの栄養価にも注目。本県産はビタミンCの含有量が全国標準より1・3倍高く、2013年に「みやざきビタミンピーマン」としてブランド認証を受けた。今月13日からは、全国で初めて栄養機能食品(ビタミンC)として本格販売を始める。経済連園芸販売課の廣瀬誠博課長は、「グリーンザウルスの新時代に向けて消費拡大に努めたい」と語る。
全国のトップランナーは団結力を生かし、先進的な取り組みで今も走り続ける。