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みやざき超早場米編(上)

2018年8月15日

災害乗り越えた知恵と努力



「日本一早い新米」として全国に届けられる本県の超早場米

「日本一早い新米」として全国に届けられる本県の超早場米

 日本人の主食・コメ。今年も本県では沿岸部を中心に、夏の強い日差しに照らされた超早場米の稲穂が黄金色に輝く。本県が全国に誇る「日本一早い新米」誕生の裏側には、相次ぐ台風被害を乗り越えようと力を尽くした先人の知恵と努力があった。

相次ぐ台風被害 失意の農家に光

 広大な沃野(よくや)が広がる本県では、古くから基幹作物として稲作が盛んだった。しかし、本県はかつて「台風銀座」と呼ばれるほど台風が襲来した。特に秋台風は大型で、普通期水稲の出穂期と重なるため、毎年のように被害に見舞われた。台風が直撃すれば山崩れや土石流で農地は全滅し、収穫直前の稲は水没。自然相手とはいえ、収入の柱を一瞬で失う落胆は大きかった。

1955年7月21日付の日向日日新聞

1955年7月21日付の日向日日新聞

 台風に負けないコメ作りを―。農家のために、JAと県が立ち上がった。台風を避けるため、収穫時期を前倒しするという前代未聞の計画。農業と防災を組み合わせた挑戦は、1953(昭和28)年に県南部で始まった。

待望の品種コシヒカリ

 普通期水稲の収穫は10~11月。これを2カ月早め、8月のお盆までに稲刈りを終わらせる―。南国特有の気候を生かした試みだったが、前例はなく、県を挙げたプロジェクトは振り出しから苦難の連続だった。

 苗づくりの失敗やスズメの食害、病害虫の発生など予期せぬトラブルが次々に発生。翌54年の試作は半減され、南那珂地区8・だけに限定された。しかしこの年、4度の台風が本県を襲う。普通期水稲は壊滅的な被害を受けたが、超早場米は台風を避けるように〝無傷"で収穫でき、一気に農家の注目を浴びた。さらに56年、普及への追い風となる早期水稲に最適な品種が福井県で生まれた。「コシヒカリ」だ。

小八重雅裕さん

小八重雅裕さん

 これまでは、収穫前の梅雨時期に湿度が高くなるため、穂に実った種から芽が出る「穂発芽」に悩まされていた。しかし、コシヒカリは被害がなく、食味が格段に優れていた。県職員として長年、超早場米のさらなる普及拡大、水稲育種に取り組んだNOSAIみやざき組合長の小八重雅裕さん(66)は「コシヒカリは寒さにも強く、どんな状況でも力を発揮する強靭さがあった」と説明する。61年に県の奨励品種に採用されると瞬く間に主流になった。

防災営農計画農業県の土台築く

田植えをする黒木元知事(左)。早期水稲を核に据えた防災営農の普及に尽力した=1966(昭和41)年(宮崎日日新聞社提供)

田植えをする黒木元知事(左)。早期水稲を核に据えた防災営農の普及に尽力した=1966(昭和41)年(宮崎日日新聞社提供)

 農政通として知られる当時の黒木博知事は同年、「宮崎県防災営農計画」を策定し、早期水稲を本県農業の核に据えた取り組みを加速させた。波及効果は台風被害の回避だけにとどまらなかった。施設園芸の繁忙期と重なることがなくなり、新たな農業のローテーションを確立できた。さらに、早期水稲の後作として飼料作物の栽培も盛んになり、畜産も発展。本県は農業産出額の全国ランキングを一気に駆け上がっていった。(次号へつづく)