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みやざき超早場米編(下)

2018年8月15日

日本一の新米 本県農業の礎



今年も7月中旬から、県南部を皮切りに超早場米の収穫が始まっている(宮崎日日新聞社提供)

今年も7月中旬から、県南部を皮切りに超早場米の収穫が始まっている(宮崎日日新聞社提供)

 本県の沿岸部を中心に栽培される超早場米は「日本一早い新米」として全国の食卓へ届けられる。防災営農の核として進められた一大プロジェクトは多くの波及効果を生み、農業県の礎となった。JAや農家は、全国に誇るブランドを守るため、今も自然と向き合い続けている。

自主流通米スタート「量から質」へ

 1953(昭和28)年にスタートした超早場米の生産は、関係者の努力により拡大を続け、7年後の作付面積は当初の840倍に当たる1万1433・に達した。戦後復興の機運もあり、農家のコメ作りの情熱が増産運動につながっていった。しかし、昭和40年代に入ると、全国的な豊作と消費の低下でコメ余りの時代に突入し、69(同44)年には生産調整が始まった。

 これまでは政府がコメを全量買い取っていたが、同年から自主流通米制度が始まり、産地間競争が激化。県内の各JAには「宮崎と名指しで売れるよい米を」のスローガンが掲げられ、量から質への転換が求められた。

生産者と消費者を直結ブランド確立に尽力

 ブランド確立のため、JAや県、農家は70年、県うまい米つくり推進協議会を設立した。「自主流通米は生産者と消費者を直結する制度で、宮崎米の評価を高める最短距離」と定め、関係機関一体となった取り組みを強化。生産組織の育成にも取り組み、集団栽培や作業の共同化、大型機械の導入などハードルを次々に乗り越えてきた。

 コシヒカリの味と、日本一早く市場に届けられる新米としての価値―。他県にない個性に磨きをかけた。超早場米の普及に尽力したNOSAIみやざき組合長の小八重雅裕さん(66)は「超早場米の収穫時期と市場のニーズがうまくかみ合った」と分析する。

関係者が一致団結〝実りの夏"実現

水流敏就さん

水流敏就さん

安川雄一郎さん

安川雄一郎さん

 平成に入ると、MA(ミニマムアクセス)米の導入や流通ルートの多様化、貯蔵技術の向上など大きな転換期を迎えたが、関係者は力を合わせ、「日本一早い新米」として不動の地位を築き上げてきた。

 ミヤベイ直販の水流敏就常務取締役は「宮崎の超早場米は、プライスリーダーとして全国から注目されている。食料自給率や治水のためにも、コメの栽培を維持していかなければ」と口元を引き締める。

 今年も〝実りの夏"を迎えた。ミヤベイ直販やJA宮崎経済連は今月4日、首都圏で新米発売イベントを開催。県内関係JAの生産者が参加し、愛情を注いで育てた安全・安心な宮崎コシヒカリを届け、おいしさをPRしてきた。

 経済連米穀特産部の安川雄一郎部長は「超早場米の成功は、県民が力を合わせて自然に立ち向かった証拠。一粒一粒に収穫の喜びや思いが込められている」と力を込めた。

首都圏で開催された本県産コシヒカリ新米発売イベント

首都圏で開催された本県産コシヒカリ新米発売イベント