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あの瞬間、歴史が生まれた

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みやざき牛乳物語(下)

2020年3月22日

防疫徹底 自給率100%維持へ一丸



ICTやロボットを活用した経営を営む新富町新田の本部農場。牛たちはストレスフリーな環境でのびのびと育つ

 2010年4月20日、本県で発生した口蹄疫。あれから10年。生産者と関係団体の復興へのチャレンジは今も続く。

 「牛、もってけ」。新富町の本部博久さん(42)は経営再開に向けて視察した熊本の酪農家に、「いま酪農を続けられるのは口蹄疫を食い止めてくれたおかげ」と声を掛けられたことが今でも忘れられない。

 父昇さん(68)が牛舎を増築している最中に口蹄疫が発生、122頭を失った。「また牛と共に生きていきたい」。本部さん親子は防疫体制を整え、経営を再開した。繁殖管理ソフトなど情報通信技術(ICT)を導入。温湿度を均一に保つ牛舎では、ふん尿処理、搾乳もロボットが行い、空いた時間は牛のケアに充てる。牛たちは好きな時に餌を食べ、自由に歩き回る。「年齢や後継者不在で再開したくてもできなかった農家の分まで」と1日に生乳5㌧を出荷する。

 本部農場は博久さんが子どものころから毎年、園児や児童を受け入れ、牛舎見学や搾乳体験を続けている。「毎日飲む牛乳を通して命の大切さを知ってほしい」と昇さん。地元の福祉施設利用者も作業を手伝う。博久さんは「地元でできた牛乳を地元の学校に届けたい」と夢を語る。

 JA尾鈴酪農部会長の黒木俊勝さん(39)=川南町=は、再開後、飼料や牧草を極力自給し、安全な環境と牛の健康に細心の注意を払う。牛乳を搾るだけでは生計を立てられない中、黒木さんは長期的な経営指導と情報提供を望む。「改良から餌づくりまで手掛ける北海道や熊本のスーパー酪農家は農業高校生の憧れ。人手に困ることなく目標になる」と経営ビジョンを描く。

生産者、乳業、JA 乳量維持へ団結

県酪農協議会の石川幸保会長

 「このまま衰退させるわけにはいかない。牛乳生産を次世代につなぎ、乳量を維持していく」。県酪農会議協議会の石川幸保会長(65)=宮崎市高岡町=は4割が後継者不在の現状に危機感を抱く。乳業各社も危機感を受け止め、牛乳に使う生乳価格(飲用乳価)は4年ぶりに1㌔4円値上がりした。「農家と乳業は運命共同体。乳業が指導員を配置し、支援する心強い動きもある」と石川会長は話す。

酪農家を巡回するJA都城営農指導員の新田彬彦さん(右)とJA都城酪農部会の平川良弘部会長

 JA都城酪農部会長で同協議会副会長の平川良弘さん(60)=都城市上長飯町=は第3者への承継も視野に入れる。「酪農家は皆、俺たちがやらないで誰がやるという思いでやっている。後継者がいる農家は早く譲ってバックアップしたい」と提言する。

10月に酪農の祭典 消費拡大へ期待

 今年10月には5年に一度の酪農の祭典「全日本ホルスタイン共進会」が本県で初めて、九州で30年ぶりに開催される。県乳用牛改良同志会の谷口俊文会長=小林市野尻町=は「乳牛のオリンピックと新鮮な牛乳・乳製品を家族で楽しんで」と消費者との交流を期待する。

10月に本県で初めて開催される「全日本ホルスタイン共進会」を前に、盛り上がりを見せた第61回宮崎県畜産共進会=2019年10月、小林市

 地元開催に沸くJA都城管内では、1頭でも多く出品牛を送り出そうと営農指導員たちが奔走する。「口蹄疫や災害があっても安定供給できたのは九州でまとまっていたから。一つでも多く九州そして宮崎から名誉賞(1、2位)を輩出して盛り上げたい」と、JA都城酪農課は話す。

 酪農への理解醸成と牛乳の消費拡大を目指す関係者は、たゆまぬ挑戦と努力を重ねる。