【東奔西走】宮崎市出身・フリーアナウンサー 宮崎宣子さん
2018年10月29日
毎回変わる現場に刺激
フリーアナウンサーの仕事に「毎日が充実している」と話す宮崎宣子さん=東京・県東京事務所
宮崎北高から早稲田大へ進み、2002年に日テレに入社。都会生活に憧れていたため「はやりの情報に東京の人よりも早く触れられる仕事は楽しかった」。ただ、最初の数年は標準語に対応できず大変な思いをした。宮崎弁を使わないようにと、上司から両親との電話を禁じられたこともあったという。
フリーに転身したのは12年。タレント的な仕事もするようになり、番組によっては「視聴者の心に残るコメントをとっさに出さないと使われない」という難しさに直面する。それでも、出会う人も現場も毎回のように違う環境に身を置き、日テレ時代よりも刺激を受けていると感じている。
東京に来て長い時間がたったが古里への愛着は強く、2、3カ月に一度は帰省している。そこではまっているのがハーブ。既に40アールの土地を借り、知り合いの生産者から指導も受けている。「ハーブは心をリラックスさせるなどいろんな効果がある。いずれは宮崎県産として売り出したい」。大好きな宮崎への恩返しにもなると考えている。
山﨑 浩子さん/プロダクション尾木制作部本部長
いつもポジティブ。天然キャラのイメージが強いですが、実際は真面目で何事にも真摯(しんし)に取り組んでいます。嫌なことがあると、宮崎に帰省して森や川の周りを歩き、気持ちをリセットしているようです。