ロシアから侵攻を受け民間人にも多くの犠牲者が出ているウクライナ。報道などで現地の惨状を目の当たりにし、記憶が呼び覚まされた太平洋戦争の経験者も少なくない。今年で戦後77年。遠い異国で続く惨劇に、自身の体験を重ね合わせて胸を痛め、平和への思いを新たにする当事者たちの声を聞いた。
1.延岡空襲で機銃掃射を受けた 堀順子さん(85)=宮崎市
動かない血だらけの親友 子どもの犠牲へ怒り
「ロシア軍がウクライナ南部の集合住宅などをミサイル攻撃。10歳以下の子どもを含む21人が死亡」-。2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻以降、毎日のように届けられる新聞やテレビの写真や映像など。特に子どもたちへの無差別な攻撃を見聞きするたび、宮崎市月見ケ丘4丁目の堀順子さん(85)はあの夏の記憶が鮮明によみがえる。
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甦る記憶
【甦る記憶】 | (1)延岡空襲で機銃掃射を受けた 堀順子さん(85)=宮崎市 | 2022年8月11日付 |
(2)戦争で教育の機会を奪われた 工藤てつ子さん(86)=五ケ瀬町 | 2022年8月12日付 |
(3)父が抑留地ウクライナで死亡した 久保田 修さん(80)=宮崎市 | 2022年8月13日付 |
(4)学校への空襲で友人を亡くした 外林 淳さん(93)=宮崎市 | 2022年8月14日付 |
(5)2歳の時に長崎で被爆した 郡司 正明さん(79)=串間市 | 2022年8月15日付 |