みやにち防災特集 学んで減災
「みやにち防災特集」は、3・11東日本大震災を教訓に、毎月1回、11日前後に掲載されます。 2013年10月からは「学んで減災」をテーマに、過去の災害を教訓に身を守るすべを学びます。
このコーナーでは、掲載記事の抜粋や「お役立ち防災グッズ」を紹介します。
宮崎市・生目台地区防災対策委員会
2017.1.11 掲載
高台にあり、集合住宅や一戸建てが数多く立ち並ぶ宮崎市の生目台地区。約3300世帯、8千人が暮らすこの地区では、防災対策委員会(矢方幸(やかたみゆき)委員長)が結成され、住民が一丸となって防災力を高めている。特に生目台中(寺原朋彦校長、270人)と連携した防災訓練は充実しており、1〜3年生にそれぞれ三つのプログラムを用意し、防災教育を推進している。そこには、過去の台風被害でも活躍した中学生への期待が込められている。
死傷者39人、床上・床下浸水4363戸と、県内に甚大な被害をもたらした2005年の台風14号。「この地区もほぼ全域が18日間にわたって断水した」。矢方委員長は当時を振り返る。復旧はなかなか進まず、給水車から水を運ぶ作業も一苦労だったという。
多くの住民が生活に苦しむ中、力を発揮したのが生目台中生だった。生徒らは学校が終わって部活動の時間になると、ジャージー姿になって水の運搬を手伝った。ボランティアでの活動は約2週間続き、その姿を見た小学生も刺激を受け、自発的に動いたという。矢方委員長によると、この地区は第3次産業に従事する人が多く、自宅を離れているため「日中に災害が起きれば頼れるのは中学生」という。14号災害を機に発足した同委員会は、10年から同校との訓練をスタートさせた。
毎年12月ごろに行う訓練では、中学校の3年間で防災の基礎が学べるように、学年ごとにプログラムが組まれているのが特徴。1年生は防災に親しんでもらおうと、応急担架作りや伝言ゲームを実施する。2年生になると、ジャッキの使い方や避難経路の確認などレベルが上がる。3年生は起震車で地震の恐ろしさを知ったり、火災時の煙体験をしたりなどと本格的だ。
16年度の訓練は昨年12月にあり、生徒たちは真剣に取り組んだ。2年生は地図を使って自宅の位置や一番近い避難所を探すなどし、最適な避難ルートを確認。地区内は大規模地震時に津波の心配はないものの、住宅は倒壊する恐れがあるため、救助に役立つジャッキの使い方を消防団員に教わった。
お役立ち防災グッズ
新聞でつくる防災グッズ クラッチバッグ
2016.12.14 掲載
宮崎市・宮崎公立大ネットワークボランティア(小倉京織子(きょおこ)部長、20人)が防災力向上を見据えて開いている高齢者サロンが、3年目を迎えた。同市中央西地区社会福祉協議会(新名典忠会長)と連携した取り組みで、名称は「サロン de ぴ〜すけ」。高齢者との交流を通じ、「共助」の意識を育むことができればという思いがある。
サロンは2014年7月に開設。今年は5〜12月に毎月2回ほど同大学で実施しており、地区内から毎回20人ほどが集まる。
防災に向けたポイントの一つは、要援護者支援システム「ぴ〜すけカード」の利用。カードは同大学人文学部・辻利則教授(災害情報)らの研究グループが開発したもので、氏名や連絡先、健康状態などの情報を入れることができる。災害時に備え、サロンでは出席確認として普段から使っている。
高齢者が自力で避難できるように「健康体操」も実施し、体力維持を目指す。トランプやカラオケなどを楽しんで顔の見える関係を築き、共助の意識醸成にもつなげている。
サロン開設を持ち掛けた新名会長は「地域のつながりが希薄になっている時代。参加者も増えており、多くの人が楽しみにしている。地震や台風などの災害も多いが、少しでも防災につながれば」と期待。辻教授は「サロンは一般的に交流の場だが、少し視点を変えるだけで防災の意味も持つ。訓練など堅苦しいものでなく、高齢者が楽しみ、参加しやすいものにすることが大事」と狙いを語っている。
通学路の危険性調査続け6年目
宮崎公立大ネットワークボランティアは、近くの西池小で児童への防災教育も続けている。通学路の危険箇所や避難所を調べる「ストリートウォッチング」を毎年行っており、今年で6年目。
当初は街中に埋もれている「良い所」を探し、地域活性化を図ろうと開催していたが、東日本大震災をきっかけに取り組みを変えた。今年は10月に実施し、同校の小学5年生が12班に分かれて同市中央西地区を調査。「看板が落ちてきそう」「道路がひび割れしている」などと地図に書き込み、災害マップを作製した。
辻教授は「災害に備え、地域を知ることは大切。今後は地域住民が中心となって開催できるようにし、取り組みが広がってほしい」と話している。
2016.11.11 掲載
大規模地震に備え、県民一斉の参加を呼び掛けた防災行動訓練「みやざきシェイクアウト」。県主催で2年目を迎え、学校や福祉施設、企業、行政など337団体、6万8122人が参加登録。団体のうち8割超が、あらかじめ決まった行動のほか、自発的にさまざまな訓練に取り組んだ。2011年の東日本大震災や今年4月の熊本地震などを受け、自助意識向上が求められる中、対策を見詰め直す契機にもなっている。
シェイクアウトは08年に米国でスタート。参加登録者は同時刻に机の下に隠れるなどし、身を守る行動「まず低く」「頭を守り」「動かない」を約1分間実践する。
県危機管理課によると、今年の訓練は11月4日を一斉開催日とし、10月5日〜12月5日で実施。参加登録数は昨年(298団体、5万600人)を上回り、連動して自発的に取り組んだ訓練の実践率も81・9%と昨年(77・4%)から上昇。県民の自助意識は高まりつつあるようだ。
訓練の内容は多岐にわたり、最も多いのが備蓄品の確認。次いで避難訓練、避難所や危険箇所の確認などが続く。宮崎市の清武小(中村富英校長、667人)でも避難訓練を実施。4日昼すぎ、地震発生を伝える校内放送が響くと児童らは身をかがめ、揺れが収まるまでの時間をおいて校庭へ集合した。中村校長は「今回初めて掃除の時間中に行った。いつ起こるか分からない災害に対し、いろんな想定をしていきたい。子どもたちに防災減災を意識づける良い機会だった」と振り返る。
延岡市の延岡商業高(花盛和也校長、587人)では避難訓練に加え、自衛隊宮崎地方協力本部が防災教育を実施。多くの生徒を前に植村茂己本部長が東日本大震災の被害を伝え、津波浸水想定区域図を示すなどして備えの大切さを訴えた。
企業にとっては事業継続計画(BCP)も重要だ。情報処理サービス業のデンサン(宮崎市)は、自社が手掛ける事業に支障が出ないかもチェック。自治体や企業などに提供しているサービスの稼働状況を確認した。同社は「顧客の業務に支障が出ないように努めるのも企業として重要。自社の従業員の安否確認から一連の流れを確かめることができた」と説明する。
県が昨年度に行った第1回「みやざきシェイクアウト」のアンケートでも、9割ほどが日頃の防災対策などを改めて考えるきっかけになったと回答した。
一方、参加登録者が増えたとはいえ県民全体の約6%にすぎず、数十万人が参加する県もある中で多いとはいえない。昨年度の県民意識調査でも災害に備えている人の割合は43・4%で、これを引き上げることが課題となっている。
南海トラフ巨大地震が発生すれば、県内は震度7に見舞われ、最大17メートルの津波に襲われる。県危機管理課は「シェイクアウト訓練自体は、身を守る行動の確認。この訓練には防災への関心を高める狙いがある。災害の際、大事になるのは自助。もっと取り組みを周知させて参加率を高め、県民誰もが災害への備えをできるようにしたい」としている。
お役立ち防災グッズ
足温グッズ
2016.6.11 掲載
地震や津波、風水害などの災害に備え、宮崎市の木花地域で次代の防災リーダー育成が進められている。子どもたちに知識や技術を身に付けてもらおうと、木花地域まちづくり推進委員会(河野通啓委員長)が開いている「少年防災マスター」の養成講座。この地域は過去に大規模な地震に見舞われ、南海トラフ巨大地震が起きれば一部が浸水するとされており、住民の防災・減災への意識の高さがうかがえる。
養成講座は2014年、同委員会の安全推進部会が木花、学園木花台、鏡洲の3小学校と木花中に協力を呼び掛けてスタート。各校で受講者を募り、夏と冬の毎年2回開催している。
2年目を終え、受講者は延べ57人。講座の最後に行われるテストに合格した児童生徒には、学校長を通じて認定証やバッジなども贈られる。第1回から受講している学園木花台小6年・清水蒼太君(12)は「講座を通じて災害の恐ろしさ、備えの大切さを知った。地域のために、いざというときに何ができるか考えるようになった」と変化を口にする。
3年目を迎える本年度は、最初の講座を8月末に開く予定。より中身を充実させるため、同委員会の会員ら大人を対象にした勉強会を、椿山キャンプ場で7月2日から1泊2日の日程で開く。
お役立ち防災グッズ
クッション
2016.4.12 掲載
日向市沿岸部に位置する細島地区。県内主要港・細島港の商業港が目の前に広がり、全9区に約2100人が暮らす。豊かな海の恵みを受ける港町だが、南海トラフ巨大地震で見込まれる津波被害は大きな懸念材料だ。住民を守るため、HOSOSHIMAまちづくり協議会(三輪俊二会長)は高齢者や子どもに特化した訓練を実施。安否確認に役立てようと各世帯の情報をまとめるなど、創意工夫に努めてきた。
まず力を入れたのが高齢者対策。同地区は65歳以上の住民が32%と市全体(28%)を上回っており、お年寄り向けの訓練を実施。リヤカーや消防団車両も活用し、いち早く高台へと誘導する手順を確認してきた。
子どもたちの安全確保も喫緊の課題となる。2014年12月に行った訓練は、大人が近くにいない日中に災害が発生したケースを想定。班ごとに分かれ、避難ルートを確認しながら指定場所までたどり着くことができるか検証し、消火作業も体験させた。三輪会長は「有事の際は、両親と離れていることも十分に考えられる。自ら考えて行動する力を身に付けてほしかった」と狙いを話す。保護者の不安解消にもつながり、好評だったという。
日向市では、細島地区以外でも大規模災害への備えは進む。同市は3月、日知屋、財光寺の2地区に津波避難タワーを建設。細島港に近い牧島山では、旭化成が所有する山林を市が10年間無償で借り受ける契約を結んでおり、避難場所などが整備される予定。
2016.2.11 掲載
宮崎市田野町の鰐塚山から同市清武町を経て、日向灘に注ぐ2級河川・清武川。流域に豊かな水と美しい自然をもたらし、人々の生活を育んできたこの川は70年以上前、本県の歴史に残る未曽有の災害により、多くの住民の命を奪った。1939(昭和14)年10月16日に発生した、清武川大洪水だ。
宮崎測候所(現・宮崎地方気象台)発行の「県災異誌第1巻」によると、同日午後9時ごろ、台風が本県南側の海上を通過。県内では15日から雨が降り始め、翌日にはさらなる豪雨に。宮崎市では2日間の総雨量が657・4ミリ、田野村(現・宮崎市田野町)でも430・5ミリに達した。清武川流域では堤防が決壊。溺死者は32人に上り、田畑の埋没、流失は約100ヘクタールに達した。この台風による県内全体の死者数53人は、本県で発生した水害としては記録が残る中で最多となっている。
洪水を防ぐため、国や都道府県などの河川管理者はさまざまなハード対策を実施している。主な方法は、河岸を削る拡幅、川底を深くする掘削、築堤など川の断面積を拡大するものや、ダム、遊水池の設置といった川の流量を調節するものなど。本流の水位が上がって流れにくくなった支流の水を吸い上げ、本流に流す排水ポンプ場を設置する方法もある。
宮崎大工学部の村上啓介教授(水工学)は「自然の猛威は人知を超えることもあり、ハード対策だけでは洪水を完全に防ぐことはできない。自分の住む土地で過去にどんな災害があったかを知り、それを踏まえて避難訓練を重ねるなど、ソフト面の充実も同じくらい重要だ」と指摘する。
お役立ち防災グッズ
防寒着
2016.1.11 掲載
県西部山沿いのえびの市。加久藤盆地を中心として南部に霧島連山とえびの高原、北部には矢岳高原があり、山林が多いこの地では、消防団としては県内唯一の常設のバイク隊「レッドホーク」が機動力を生かした防災活動を展開している。
結成は2010年4月。災害時に車では進入できないような、未舗装の林道などでの情報収集が必要な場合、市はそれまで自衛隊などに協力を要請していたが、発生から出動までに時間がかかることもあり、発足に至った。
現在のメンバーは大木場譲隊長をはじめとする20〜40代の12人。自営業や会社員など職業はさまざまだが、全員が普通自動二輪免許などを持つバイク愛好家だ。有事の際、隊員は230cc、250ccの真っ赤なオフロードバイク6台を乗りこなし被害状況などの情報収集を行うほか、医薬品などの運搬と応急処置なども担う。行方不明者が出た場合にも出動し、捜索に当たる。日ごろは月1回の走行訓練と整備、会議も欠かさない。訓練ではスラローム走行などを行って技術の向上を図るほか、地元住民でも全てを把握しきれないほど複雑な山間部の林道などを回り、いざというときに備えている。
お役立ち防災グッズ
ライトペン
2015.12.11 掲載
西池町、祇園など宮崎市中心部の地区で構成される中央西地域自治区。南九州大や宮崎公立大などの教育機関があるほか、マンションなどには子育て世代も多く住んでおり、65歳以上の割合を示す高齢化率は2015年4月1日時点で21・54%と、県内で最も低い宮崎市の平均24・73%を3・19ポイントも下回っている。その半面、住民の入れ替わりも激しく、自治会などは「住民のつながりが希薄になりつつあり、災害時に単身高齢者や障害者らの安否確認に支障をきたすのでは」と危惧。災害弱者の支援態勢を築くため、同自治区が12年から導入しているのが、携帯電話で情報を共有する「ぴ〜すけカード」を利用した取り組みだ。
カードを利用したシステムは、同大学人文学部の辻利則教授を中心とするグループが11年に開発。カードに印刷したQRコードを専用の機械で読み込めば、持病や障害、服用薬といった健康情報が共有でき、災害時は所有者の居場所も把握できる。試験導入のため、カードを配布するまでには至っていないが、民生委員と福祉協力員が見守りが必要な高齢者宅などを巡回する際、専用のパソコンサイトで健康状態などの書き込みを行い、中央西地区社会福祉協議会でデータを管理している。
カードは住民らによる中央西まちづくり推進委員会が11月1日に行った地震避難訓練でも活用された。住民らは事前に配られたサンプルカードを手に、自治区内の3カ所に避難。機械でカードのデータを読み取り、避難者数などを集計する作業は同大学の学生らが担当した。避難所運営のルールについて住民同士で話し合う姿もみられた。
お役立ち防災グッズ
新聞で作る手袋
2015.11.11 掲載
延岡市南部に位置する伊形町。日向灘から東端までの距離は400メートルほどで、北側で沖田川と石田川が合流し、南側には井替川が流れている。同町周辺には、かつて襲来した大津波の記憶を400年の時を経た今も伝える舞がある。県の無形民俗文化財・伊形花笠踊りだ。
伝承によると、津波が押し寄せたのは天正年間(1573〜92年)。丘の上の山王社(現在の日枝神社)に避難した村人が神に祈ると7羽のシラサギが舞い降り、波が引いたという。村人は以来、神への感謝を込めて踊りを奉納するようになった。正式には成人男性7人で舞う。白衣をまとい、花かさをかぶって顔は網目に切り抜いた和紙で隠す。3番まであり、1番で神を呼び寄せ、2番では両手で津波を押し返す所作をして波が引くよう願い、3番で願いが届いた喜びを表現する。
延岡市危機管理室によると、南海トラフ巨大地震が発生すれば、同町には最短15分以内で津波が到達。県想定の浸水深は大部分が2メートル以上5メートル未満で、津波の危険は今もあるが、日枝神社は標高約11メートル。市の津波避難場所に指定され、伝承の確かさを裏付ける。同会の小田健一会長(84)は「誰も踊らなくなったら津波の記憶は風化する。伝統を途切れさせないことが、子孫の幸せにつながる」と決意を新たにする。
お役立ち防災グッズ
心肺蘇生法訓練キット
2015.10.11 掲載
山頂から見下ろす絶景、花々や紅葉など四季折々の美しい自然…。えびの市のえびの高原は、年間93万人(2013年)が訪れる一大観光地だ。景観や温泉などの観光資源をもたらす霧島連山は、全国有数の活火山でもある。硫黄山(1310メートル)周辺に出されていた火口周辺警報(火口周辺危険)は既に噴火予報(活火山であることに留意)に引き下げられているが、昨年の御嶽山(おんたけさん)のような突発的な火山被害が起きる可能性は否めない。行政、観光関係者は有事に備え、現在も観光客を守るための取り組みを続けている。
火口周辺警報は昨年10月24日に発令され、半径1キロ以内が立ち入り禁止に。今年5月1日には噴火予報に引き下げられ、道路などの規制も解除された。えびの市やえびのエコミュージアムセンターなど周辺の商業・公共施設などでつくる「えびの高原自主防災連携組織」は気象庁などから得た最新の情報を共有し、同センターで火山性地震の発生回数を掲示するなどして観光客に注意を喚起。立ち入り禁止区域などの位置を示した、市発行のマップ配布も行ってきた。市は防災無線の増設などハード対策も実施。同センターは近く、噴石を想定し屋根を強化するなどの補強工事に着手する予定だ。
お役立ち防災グッズ
新聞紙でつくる防災グッズ 枕
2015.9.11 掲載
カツオ一本釣り漁の基地・大堂津港を中心とする小さな港町・日南市大堂津。東側は日向灘、西側から南側にかけては細田川に挟まれており、南海トラフ巨大地震が発生すれば、東西両側から津波に襲われる可能性がある。市は同地区北部の大堂津公民館跡地に3階建ての複合型津波避難施設の建設を計画しているが、南部には既に津波避難ビルに指定されている建物が二つある。一つは細田川沿いに立つ民間マンション、もう一つが1951(昭和26)年に開設された同市立中部病院だ。
現在の病棟は鉄筋コンクリート造りの4階建て。津波の最短到達時間は14分、予想浸水深は6・1〜6・8メートルとされており、3階まで上れば津波から逃れられる。
だが2階部分にあるのは、脳梗塞などからの復帰を目指す患者のための回復期リハビリテーション病棟で、患者の自力避難は困難だ。このため、同病院は地震、津波対策を中心とする防災マニュアル作成に着手。今年6月、各診療科や病棟を受け持つ看護師長ら18人による作業部会を立ち上げ、10月の完成とマニュアルを基にした訓練実施を目指している。
長さ約1・6キロ、幅0・2〜0・6キロの細長い砂州に位置する日南市大堂津地区。潮流などに運ばれた土砂が河口付近にたまってできる地形で、標高が低いのが特徴だ。海側からの津波はもちろん、河川を遡上(そじょう)する津波も脅威。水面は摩擦が少なく、陸を伝う津波よりも伝わる速度が速いという。
宮崎大工学部の村上啓介准教授(水工学)は「海と川の両方から水が押し寄せ、大堂津は砂州全体が水没する可能性が高い。砂の層の上に土地があるため、液状化の心配もある」と警告。「避難ビルなどに上り、津波襲来の瞬間を生き延びることが先決。行政などの公助がなかなかなされないという前提で、避難施設には1週間分の備蓄をしておいた方がいい」と助言する。
お役立ち防災グッズ
お役立ち防災グッズ 発熱材
2015.7.11 掲載
滑走路の東端が日向灘に接する、宮崎市赤江の宮崎空港。南海トラフ巨大地震が発生した場合、最短25分で津波に襲われ約1メートル浸水する恐れがある。
東日本大震災が発生した2011年3月11日午後。職員や利用客ら同空港にいたほぼ全ての人の視線は、テレビにくぎ付けとなった。映し出されていたのは、宮城県・仙台空港ターミナルビル。1階部分が津波によって水没し、滑走路の小型機や車が次々と押し流される-。
仙台空港の被害を踏まえ、宮崎空港ビルは津波対策をハード、ソフト両面で強化。高圧受電設備を1階から3階へ移したほか、社員や航空各社の職員に緊急時の対応法を記したガイドブックを配布するなどしている。
また、震災時に多くの地域住民が仙台空港ビル上階に逃げ込んで難を逃れたことから、宮崎空港ビルを地域住民の一時避難施設(津波避難ビル)として使用できるよう、同年10月に宮崎市と協定を結んだ。一時避難施設としては、市内第1号の認定となった。付近住民にはビル内の見取り図などを記した避難手引書を配布。毎年7月ごろには、市や空港周辺の4自治会、宮崎東病院などが情報交換会を開催し、津波対策の現状や今後の課題について話し合っている。
■予想浸水深は最大でも1メートル
宮崎空港と仙台空港はともに海沿いの平地にあるものの、宮崎は5・1メートル、仙台は1・7メートルと標高に違いがある。東日本大震災の際は仙台空港に津波が押し寄せ、ターミナルビル内は約3メートルの深さまで浸水した。南海トラフ巨大地震が発生した場合、地震の規模は東日本大震災クラスとなる可能性があるが、宮崎のターミナルビルの予想浸水深は標高の高さもあり、最大でも1メートルほどだ。
宮崎地方気象台の植村英明地震津波防災官は「浸水深1メートルの津波でも木造家屋は部分的に破壊され、人だけでなく車も押し流される恐れがある。沿岸部で大きな揺れを感じたら、すぐに津波避難ビルなどに逃げ込んだ方がいい」と注意を促す。
お役立ち防災グッズ
新聞で作るゴミ箱
2015.5.11 掲載
宮崎市吉村町にあり、同町を含む宮崎港周辺を校区とする宮崎港小(堂薗敬子校長、420人)。同港から800メートルほどしか離れておらず、校舎の3階からは停泊しているフェリーも見ることができる。マグニチュード9規模、最大震度7が想定される南海トラフ巨大地震が発生した場合、同港には最短約23分で津波が到達。予想浸水深は2・3メートルとなっている。
市は12年9月までに、同校の屋上に通じる避難階段などを整備。屋上の標高は約14・9メートル、面積は約400平方メートル。約800人収容でき、学年ごとの避難場所を明示するほか、地域住民のためのスペースも確保している。
これまでは児童と教職員だけで行ってきた屋上避難訓練を、本年度は保護者、住民も参加する形で実施する予定。防災主任の伊藤浩教諭(50)は「日常から自分の命を守るための教育を行い、有事の際は地域との助け合いも心掛けたい」と話す。
■関係継続する環境づくりを
文部科学省が行った調査によると、県内で津波による浸水が想定される公立学校は昨年5月1日現在で62校。このうち20校が学校周辺の高台などに避難し、屋上など学校敷地内に避難するのは35校、状況に応じて校内、校外を選択できるのは7校となっている。
防災教育や地域防災に詳しい宮崎公立大人文学部の辻利則教授は「学校と地域が連携を深めるためには、学校が住民にとって身近な存在となるよう取り組むことや、教職員が入れ替わっても関係性を継続できる環境づくりが重要だ」と訴える。
お役立ち防災グッズ
手回し充電ラジオ
2015.2.11 掲載
三股町・勝岡地区の町道に「勝岡新坂」と呼ばれる切り通しがある。北部に位置する同地区と役場や三股中がある中心部を結んでおり、登下校時になると、自転車に乗った中学生が息を切らせて坂を上り下りする光景が見られる。1969(昭和44)年6月、豪雨によりシラス層ののり面が崩壊し、新坂を通行中だった同校の女子生徒4人が犠牲となった。痛ましい土砂災害の記憶は、発生から45年以上の時を経た現在も若い世代に受け継がれている。
同年6月28日~7月1日、梅雨前線の活発化により県内は各地で大雨となった。県発行の「災害の記録」によると、都城市では4日間の総雨量が418ミリに達し同校は30日の授業を午前中で打ち切った。当時2年生だった女子生徒4人はバスで登校したが、公共交通が止まったため徒歩で下校。新坂を勝岡方面に進んでいた午後3時ごろ、事故に巻き込まれた。シラス層は幅約30メートル、高さ約10メートルにわたって崩れ、4人は生き埋め状態に。同町消防団や自衛隊などが救出作業にあたり、同6時ごろまでに全員の死亡が確認された。
同校は同年7月2日に学校葬を行い、故人の冥福を祈念。同校ではその後、4人を追悼する「命を考える集会」が毎年6月に開かれるようになり、事故現場にある慰霊碑の清掃も生徒会によって行われている。近年は当時を振り返るだけでなく、東日本大震災の被災地に派遣された教職員による講話も行われるなど、災害や命の大切さについて広く学ぶ機会となっているという。
事故の概要を調べ、昨年6月の集会で発表した前生徒会長の小川悠太君(15)=3年=は「災害に絶対の安全はないということが分かった」と語り、集会を通じて防災への思いを新たにした様子。八ケ代俊夫校長は「三股中は町内唯一の中学校。町民の多くがこの集会で新坂の事故について学ぶ。語り継いでいくことは、わが校の使命だ」と強調する。 三股町・新坂のような豪雨による崩壊だけでなく、震度5以上が観測され、44カ所でシラス層の崩壊が確認された1968(昭和43)年のえびの地震のように、地震が誘因となることもある。宮崎大農学部の清水収准教授(砂防学)は「山間部で住宅地の開発などが進むと、シラス層の崩壊が増える恐れもある。その土地がどんな場所であるかを知り、三股中のように後世に伝え続けることが大事だ」と語る。
お役立ち防災グッズ
新聞紙で作る皿
2015.1.11 掲載
宮崎市の北端、一ツ瀬川の右岸に位置し、東に日向灘を臨む佐土原町下田島・二ツ立(ふたつだて)地区。標高約2メートルの平野には田園風景が広がる。南海トラフ巨大地震による津波が発生しても逃げ込める高層建築物などがないため、市は津波避難タワー建設に着手。基礎は出来上がっており、3月に完成する予定だ。住民は「これでひとまずは大丈夫」と胸をなで下ろしつつ、「有事に備え、訓練を重ねたい」と意気込む。
市危機管理課によると、避難タワーは同地区の南側にある二ツ立神社の敷地内に建設。鉄筋コンクリート造りの2層構造で、200人を収容可能。幅10メートル、奥行き5メートル、高さは1層目が6メートル、2層目は9メートルとなっている。
南海トラフ巨大地震が発生した場合、同地区には22分以内に津波が到達、浸水深は2メートル弱とされている。同地区は海岸から1キロほどしかなく、浸水想定区域外に徒歩で出るには20分以上を要する。その上、県の液状化可能性分布図で可能性「大」とされており、地盤の亀裂から砂を含む地下水が噴出する「噴砂現象」などで車での避難が困難になることも予想される。
2011年の東日本大震災以降、住民の間では津波避難施設を望む声が目立つように。市はこれを受けて13年に同地区へのタワー建設を決断し、翌14年10月に着工した。
お役立ち防災グッズ
非常用給水袋
2014.10.11 掲載
自らの被災体験や得られた教訓について熱心に語り合う、「むすび塾」の参加者=9月20日午後、宮城県七ケ浜町の県漁協七ケ浜支所代ケ崎浜会議室
東日本大震災の教訓を宮崎県民の防災活動に役立ててもらおうと、宮崎日日新聞社と東北地方のブロック紙・河北新報社(仙台市)は28日、宮崎市木花で津 波避難訓練とワークショップを連動させた防災イベント「宮崎むすび塾」を開く。本県での開催に先立ち、河北新報社が9月20日、宮城県七ケ浜町代ケ崎浜地 区で実施したワークショップを取材した。意見交換の様子を紹介する。
巡回ワークショップ「むすび塾」が開かれたのは、代ケ崎浜地区北西部の代ケ崎浜港にある、県漁協七ケ浜支所代ケ崎浜会議室。「むすび塾」は河北新報社が2012年から続けている「いのちと地域を守る」キャンペーンの一環で、今回が36回目の開催となった。
参加したのは同地区内にある清水、西、谷地地区の区長や民生委員ら10人。コーディネーターは減災・復興支援機構(東京)の木村拓郎理事長が務めた。
「宮崎むすび塾」は避難訓練とワークショップの連動企画だが、今回はワークショップのみの開催。全員が被災者であるため、各自の体験とそこから得た教訓を発表し合うという形で進行した。
教訓については「震災前から行っていた避難訓練が役立った」という証言のほか、「(1960年の)チリ地震の際には全く被害がなかったので、津波を甘く見 ていた」「火力発電所という重要な施設のある場所だから、大丈夫だと思っていた」と、過去の経験や思い込みに沿った行動に警鐘を鳴らす意見も。当面の課題 としては次世代への教訓の伝承、車を使った避難ルートの確保、道路補修用の土のうの準備などが挙げられた。
2014.10.11 掲載
宮城県中部沿岸の七ケ浜町代ケ崎浜地区にある、代ケ崎浜港
宮城県中部の太平洋沿岸に位置し、東北地方の市町村としては最小となる13・27平方キロの面積に 約2万人が暮らす七ケ浜町。日本三景・松島の風光明媚(めいび)な景観で知られている。東日本大震災の際には半島状の地形に三方から津波が押し寄せ、総面 積の約36%に当たる4・8平方キロが浸水。90人以上が命を落とすなど、甚大な被害を受けた。
代ケ崎浜地区は、塩釜湾に面した同町北東部にあり、人口は約800人。北側には眼下に松島湾が広がる景勝地・多聞山があるほか、東側沿岸には東北電力仙台火力発電所を抱える。地区内では住民や町職員11人が犠牲となった。
2014.9.11 掲載
縁起のよい駅名から毎年多くの観光客が訪れる、えびの市西内竪地区のJR真幸駅。ホームの端には、重さ8トンの巨石がある。1972(昭和47)年にこの地を襲った本県最大級の土石流「真幸の山津波」の被害を今に伝える「山津波記念石」だ。
山津波は7月6日午後2時15分ごろから5回発生。駅の裏山が高さ350メートル、幅280メートルにわたって崩れ、30万立方メートルもの土砂が駅のホームを越えて白川沿いに約1・5キロ流出した。宮崎地方気象台発行の気象月報によると、同月1~6日のえびの市の総雨量は648ミリ。5日だけでも269ミリを記録していた。学校の近くに住む主婦末永フクエさん(82)は、大雨で中学校が休みとなっていた娘たちと自宅にいた。外に目をやると、100メートルほど先を土石流が流れ、木々がなぎ倒されていくのを発見。無事だった小学校に娘たちを預け、災害現場付近に住む両親を迎えに行った。 両親は発生直前に家を出ていて無事だったが、同地区では夫の姉を含む4人が犠牲に。末永さんは「土砂が止まって動いてを繰り返すさまは、まさに津波と一緒。人間の足で逃げ切れるような速さではなかった」と証言。東日本大震災や広島市の「平成26年8月豪雨」など災害の映像を見るたびに「今でもはっきりと思い出す」という。
宮崎地方気象台は「まずは自分がどんな場所に住んでいるかを知り、土砂災害警戒情報など最新の情報を常に入手することが大事。真夜中に警報が出されることもあるので、場所によっては早めの自主避難も視野に入れておいた方がいい」と呼び掛ける。
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2014.7.11 掲載
1889(明治22)年の村政施行以来、大雨や台風による土砂災害に数多く見舞われてきた椎葉村。上椎葉地区では2005年に台風14号の雨で土石流が発生し、家屋5棟が全壊、住民3人が命を落とす惨事となった。
土石流は同年9月6日午前7時半ごろ、同地区から熊本県湯前町に至る県道上椎葉湯の前線の路肩斜面で発生。直線距離140メートル、幅30メートルにわたり、約4500立方メートルの土砂が滑り落ち、役場や国民健康保険病院などが並ぶ村の中心部を襲った。
4日の時点で大雨、洪水警報が発令されていたものの、6日早朝の時点では最接近する前の段階。だが、上椎葉観測所では5日の24時間雨量が329ミリに達し、6日と合わせて800ミリ近くに。発生した時間帯には、1時間に40ミリの激しい雨となっていた。
05年の災害では停電で電話回線や携帯電話の基地局が一時使用不能になり、通信機能が途絶。現在は消防団幹部らに衛星携帯電話を配布、全戸に光ファイバー網を利用した音声告知端末を設置するなどして備えている。椎葉副主幹は「村内のどこでも災害が起こりうる以上、迅速な情報提供が最も大事。今は以前にも増して村民が率先的に自主避難をしてくれる」と胸を張る。
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2014.6.11 掲載
大小さまざまな河川を有する水郷・延岡市。五ケ瀬川を挟む川中、川北地区には橋の欄干に似たコンクリート製の構造物が並ぶ。名前は「畳堤(たたみてい)」。飲料水などの恩恵を受ける一方、水害の危険と生きてきた住民に運用され、今も大事に守られている水防設備だ。
高さ約60センチ、厚さは約30センチで、上から見ると幅約180センチ、厚さ約7センチの隙間がある。川が氾濫しそうになったら隙間に畳を差し込み、越水を防ぐ仕組み。現在の総延長は約1キロだが、以前は大瀬川沿いを含め2キロほどあったという。当時五ケ瀬川を管理していた県が、昭和初期に敷設した。
同市では台風などで河川が増水すると、沿岸部の方財町にある「毛なし浜」を掘削して水を逃がし、川に挟まれたデルタ地帯となっている川中地区など中心部への逆流を防いでいた。当時の同町は浜を削ると孤島状態になるため、住民の事前避難が必要となる。畳堤は方財の人々が脱出し、毛なし浜に水の通り道を作るまで時間を稼ぐための、簡易堤防の役割を果たしていた。
五ケ瀬川の畳堤を守る会会長の木原万里子さん(72)は「川とともに生きる私たちにとって、畳堤は水防活動のシンボル。危機意識を皆が常に持っていられるよう、活動を続ける」と決意を新たにしている。
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新聞紙の添え木
2014.5.11 掲載
2011年1月26日の本格噴火から3年以上経過した霧島連山・新燃岳(1421メートル)。降灰で日常生活に支障をきたし、一部住民が避難生活を送った高原町には当時、県内外から延べ1263人のボランティアが集まった。
受け入れ調整や被災者の支援ニーズのマッチングに奔走したのが、町社会福祉協議会が開設した同町災害ボランティアセンター。町社協の福祉活動専門員原田裕幸さん(35)は「立ち上げから困難の連続だった」と振り返る。
各市区町村の社協は災害時に同センターを開設することになっているが、近年の同町は目立った水害もなく、噴火当時にノウハウを持つ職員は皆無。県社協などの協力で2月7日にようやくセンターを立ち上げた。原田さんは「ひっきりなしに(要請の電話が)かかってきて、息つく暇もなかった」と証言する。多くの人が地理に不案内だったために町職員らによる案内が必要だった上、活動が休日に限定されるなど課題も残った。
当時の反省を踏まえ、町社協は噴火のあった毎年1月26日前後にセンターの運営スタッフを養成する研修会を開く。
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蛇口付きポリタンク
2014.4.11 掲載
「外浦に三メートルの津波 栄松部落は水びたし」。日向日日新聞(現宮崎日日新聞)の1960(昭和35)年5月25日付紙面に掲載された見出しだ。日本時間同23日午前4時すぎ、チリ沖でマグニチュード(M)9・5という観測史上最大の地震が発生。24日早朝には日本の太平洋沿岸を津波が襲った。67(同42)年発行の「県災異誌」によると、日南市南郷町栄松地区で168戸が床上浸水。床下浸水は同地区と外浦、目井津地区を合わせ、144戸に上った。
「津波や!」。同地区の主婦郡司恭子さん(81)は当時27歳。1歳の長男を背負い、3歳の長女の手を引いて町内の神社へお参りに出掛ける際、誰かの叫び声に気付いた。長女を抱き上げ、慌てて現在の栄松ビーチ近くの丘陵に逃げようとしたが、海水は港を超え、3人のいた路上に到達。「波が私のすねの辺りまできてね…。ものすごい水圧で身動きができんかった」。郡司さんは恐怖の体験を振り返る。
同地区にはまだテレビがほとんど普及しておらず、防災無線も設置されていなかったという。当時を知る住民は「そもそもチリで地震が起きたこと自体、知らなかった」と口をそろえる。
「津波を今でもはっきりと覚えている」という高齢者の防災意識は高く、年1回の防災訓練にも多くが参加している。
同地区の自治会長を務める斎藤斎(ひとし)さん(75)=当時(21)=は「情報や普段の訓練の重要さを、われわれは身をもって知っている。若い世代に語り継ぐのは、経験者の責任だ」と語気を強める。
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簡易トイレ
2014.1.11 掲載
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緊急用ホイッスル
2013.12.11 掲載
「男性はカツオ漁で10カ月も沖に出る。地域のことは陸(おか)で働く女性が守らないと」。日南市漁協女性部の竹井友子部長は、力を込めた。
8日に日南市南郷町の南郷ハートフルセンターで開かれた「カツオ漁港のかあちゃんサミット」(日本カツオ学会主催)の一場面。全国の漁村の女性約50人を前に、竹井部長は自分が住む同市大堂津地区の現状を報告した。
大堂津は長さ約1.6キロ、幅約0.2〜0.6キロの細長い砂州が広がり、海と川の両方から津波に襲われる恐れがある。住宅が密集して1840人が住むが、標高は低く、津波緊急避難場所・避難ビルは計4カ所と少ない。
県内で避難場所を探す目安として、宮崎大の村上啓介准教授が挙げるのは「半径400メートルの円」。南海トラフ巨大地震などで最大クラスの地震が起きた場合、本県は最短の日南市で14分後に高さ1メートルの津波が来る。地震の揺れが収まって動き始めるとして、避難に使える時間は約10分。
村上准教授は「大堂津は円の外が多い。円の中でも橋が使えないなどさらに避難が難しい要因もある。避難タワーなどのハード整備も検討する必要がある」と懸念する。
「逃げるのはあきらめよう」は禁止。「地震から約10分後に34・4メートルの津波が来る」と想定される高知県黒潮町の佐賀地区。漁協女性部や女性防火クラブが率先して夜間訓練や炊き出しも行う。保存食であるかつお節も非常食に使うこと、ペットボトルに入れた米を備蓄倉庫に入れることも提案する。同県漁協佐賀統括支所女性部の境好美部長は「女性が動けば男性も行政も必ず動く」と実践を続けている。
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新聞紙おわん
2013.11.11 掲載
日向市江良町は市役所から東に約1キロ、市内最大の住宅街の中にある。南海トラフ巨大地震の県の想定によると、津波の襲来で地面から最大5メートル浸水する恐れがある。
江良区の三浦雅典区長(65)と町内を見渡した。2階建ての家が密集している。歩いて15分ほどの、日知屋公民館前の一時避難場所へ。転落防止用の柵付きの坂を登ると、手すり付きの頑丈な階段と真新しいスロープが斜面の上へ続く。山肌が露出しているがしっかり整地され、芝を植える前の小さな公園のようだ。
ここは市が6月、櫛の山の斜面に整備した。もともとの江良町周辺の津波避難ビルは、日知屋小と日知屋東小だけ。江良町内約500世帯、周辺の日知屋地区約3千世帯の住民を守るにはさらに高い場所が必要だ。三浦区長らは櫛の山の土地所有者や市に理解を求めた。市は住民や学校、福祉関係者の意見を反映させ、1058万円で整備した。
同町は本年度、県の防災モデル地区育成事業に手を挙げ、学識者による講演や災害図上訓練なども実施。みやざき公共・協働研究会の出水和子ディレクターは「住民と市が各自できることを続けながら協力することが不可欠で、江良町はその好例。専門家が入ることで、日常に隠れた危険に気付き、ほかの地区の状況を知ることも大きな力になる」と話している。
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アルファ米
2013.10.11 掲載
高千穂町役場から北東へ約6.5キロにある岩戸地区。土呂久川を挟んだ山の斜面に、民家や牛舎、田畑が点在するのどかな風景が広がる。2005年9月6日、2世帯5人が土砂災害で亡くなった。
「土砂災害が起きる前は山から水が出る」とよく言われる。岩戸地区では台風や大雨のたびに山から水が出ることが常態化していた。
宮崎大の清水収准教授(砂防学)は「ちょっとした違いから『実は山でもっと大きな変化が起きているかも』と想像を。住民の中で日常化した危険を第三者の専門家の目から見てもらう、住民同士で日頃から安全な避難路や場所を確認する方法もある」と提案する。
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新聞紙で作る防災グッズ