宮崎大、宮崎医科大が統合し、3代目の学長となる。任期はことし10月から3年間。医療に20年来携わった経験を踏まえ「地域のニーズに応える基本的な理念はどの分野も同じ。各学部の“財産”を横糸でつなぐかじ取りをしたい」と力を込める。
鹿児島市出身で、1991年に宮崎医科大(現宮崎大医学部)産婦人科教授就任。94年に全国ワーストだった県内の周産期死亡率(出産千人に占める死亡数)の改善に尽力し、99年に全国トップに。県内の医師らと連携し、高リスク出産に対応できる態勢を構築。全国的に注目を集めた。
「地域の課題を研究テーマにして取り込んだ結果が全国への発信につながった。宮崎に存在する大学である以上、県民の期待に応えることをやっていきたい」と熱い。宮崎大付属病院長時代には、救命救急センターの開設やドクターヘリの運航にも関わった。
地域のニーズを研究に生かす具体案として、2013年11月に設立された大学の産業動物教育研究センターの活用を挙げる。牛や豚を用いた実践研究設備を備え、同センターを拠点に医、工、農学のさらなる連携が図れるとにらむ。「東九州メディカルバレー構想で集積を図る医療機器関連産業の治療実験を受け入れれば、全国の医療ニーズにも応えられる」と将来像を描く。
中高、大学と陸上部でならし、今も学会など出張時はマイシューズを持参。息子2人も医師で、現在は妻と宮崎市清武町で暮らす。週2回のスローペースのジョギングが息抜き。69歳。
(報道部・矢野太輝)