前職は福岡地検次席検事で、特定危険指定暴力団「工藤会」のトップらを摘発する頂上作戦に携わった。1998年に北九州市で発生した元漁協組合長射殺事件では実行犯らの実刑が確定した後、公判の記録を丹念に調べ直すなどして上層部の関与を裏付ける証拠を見つけ、殺人罪での逮捕・起訴にこぎ着けた。
「地道な捜査が実を結んだ。警察の力が大きかった」。そして、こう続けた。「検察は人的に限りがある。刑事司法の土台は警察。宮崎でも警察と手を携え、治安を守っていきたい」。柔らかな物腰の中に時折、強い信念がのぞく。
名古屋市出身。父親が検察事務官や副検事として働いていたため、中学生の時から検事の仕事に興味を持った。「刑事司法による正義の実現に最も能動、主体的に関われる」と目指し、関西大法学部を卒業後、1989年に任官。東京地検公判部副部長や大阪地検公安部長などを歴任。2005年の大阪姉妹殺人事件など社会的に耳目を集める事件も担当した。
自身の性格を「誰よりも好奇心旺盛」と分析し「福岡では土、日曜は人の3倍は遊んだ」。社会を知ることは仕事にも通じるという。「検事に求められるのは現場の証拠に気付く力。それを養うヒントは日常生活のあらゆる場面にある。なるべく外に出歩き、広く浅く知識を身に付けて」と後輩検事にエールを送る。
「どこまでも空と海が青い」印象の本県で「温泉巡りと高くない山登りを満喫したい」。家族は妻と子ども2人で、単身赴任。57歳。