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高千穂で考える連続文化講演

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「高千穂で考える日本と世界」連続文化講演 11月27日開演

2016年11月15日
確定している連続文化講演事業の今後の日程と講師、演題は次の通り。
第2回 2017年4月22日
 櫻井よしこさん(ジャーナリスト)「私と日本の心」
第3回 2017年9月2日
 中村 哲さん(医師・ペシャワール会代表)「私の中の日本人~アフガニスタンを緑の大地に導いて」

<問い合わせ先など>
 第1回講演会のチケットは前売り1800円、当日2000円。申し込み・問い合わせは山参会事務局の下堂園さん(電話)090(8418)7118か、高千穂あまてらす鉄道(電話)0982(72)3216へ。

【特別対談】山参会理事長・作家 髙山 文彦さん × 第1回講師 宗教学者 山折 哲雄さん


 高千穂町の「高千穂あまてらす鉄道」(髙山文彦社長)の支援先であるNPO法人・山参会が、「高千穂で考える日本と世界」を基調テーマに連続文化講演事業をスタートする。日本を代表する多彩な文化人が講師だ。第1回は京都市在住の宗教学者山折哲雄さん(85)を講師に、今月27日午後3時から同町三田井のホテル高千穂で開く。演題は「天孫降臨神話に学ぶ未来への知恵と希望」。講演を前に、山折さんと同町出身の作家で山参会理事長の髙山さん(58)に、連続文化講演の意義やいまの時代の本質、人としての生き方について大いに語り合ってもらった。対談要旨を掲載する。
(司会=総合メディア局次長兼データベース部長・外前田孝)


「高千穂で考える日本と世界」連続文化講演 
髙山文彦さんインタビュー動画 https://youtu.be/6rNurL5DZxE
山折哲雄さんインタビュー動画 https://youtu.be/mNtTHoU3bpc


文化講演の狙い

神話がもたらすもの何か/「死の兆候」高まっている

 -連続文化講演の基調テーマは「高千穂で考える日本と世界」と壮大です。狙いや特徴は何ですか。

髙山 文彦さん

 たかやま・ふみひこ 1958(昭和33)年、高千穂町生まれ。県立高千穂高卒後、法政大へ。99年刊行の「火花 北条民雄の生涯」で大宅壮一、講談社ノンフィクション賞ダブル受賞。著書は「地獄の季節」「エレクトラ 中上健次の生涯」「宿命の子 笹川一族の神話」など多数。高千穂鉄道の台風被災後復興運動に尽力し、高千穂あまてらす鉄道社長、山参会理事長を務める。東京都在住。

 髙山 長年文章を書いてきて、人類はこのままいったら滅亡しかないんじゃないかという逼迫(ひっぱく)した思いがあります。現代は効率を最優先する世の中になってしまって、人間自体が機械化してきている。いま生きているこの瞬間のみに価値が置かれ、過去を捨て、未来への想像力を持たなくていいという文明になりつつある。また東日本大震災、熊本大地震、洪水、台風被害、火山の爆発など世紀末的自然災害が多発している。そんな中でぼく自身が学び直したいという気持ちがあるんです。

 そこで、とりあえずは10回、年に2~4回の割合で、文学や芸術・歴史的視点や世界的視野を持った方を呼んで文化講演会を開きたい。お呼びする講師はどう現代を捉えているのか。日本人の神話が社会に知恵と幸福をもたらすものであるとすれば、それは何か。危機の時代に未来を見詰めて生きていく上で、果たす役割とは何か。そういったことを語ってもらいたいと思っている。

 -今の話を、山折さんはどう聞きましたか。

 山折 自爆テロ、ヨーロッパの分断、火山爆発、地震など、われわれの日常の周辺で、いや世界一斉に至る所で「死の兆候」が高まってきている。日本の社会が腐敗と死臭を放ち始めている。深い意味での終末、仏教における末法が足音を立てて迫っているというのが実感だ。そこでは、高千穂の天孫降臨神話問題と、今の死の兆候が結び付くのかが最大のポイントになるかもしれません。

 -死の兆候が現れているという点について髙山さんはどう思いますか。

 髙山 山折さんほどの方がそこまで直感なさっていることに驚いた。4月の熊本大地震で、高千穂は震度5弱、震度5強の揺れに見舞われ、あまてらす鉄道は3カ月運行できなかった。あの地震を現場で経験していなくても精神的にこたえた。東北や熊本の被災地の方々が身に染みて感じただろう末法というものを、ぼくも感じました。日本人はこの末法というものを、あの2度の大戦でも思わなかった。東北の地震や津波、熊本の地震を経て、生と死が共存するという日本人の真実の姿を取り戻したのではないか。

転換期

「軸の時代」に学ぶ時/弱まる人間の生命力

山折 哲雄さん

 やまおり・てつお 1931(昭和6)年、米国サンフランシスコ生まれ。6歳で東京に転居。東北大卒。69年、春秋社に入社。76年、駒沢大文学部助教授に。東北大文学部助教授、国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター所長などを歴任。専門は宗教史、思想史。著書は「日本人と浄土」「親鸞をよむ」「往生の極意」など100冊以上。近著は「『ひとり』の哲学」。京都市在住。

 山折 1995年の阪神淡路大震災から、2011年の3・11東日本大震災までの世紀をまたいだ期間は、後世、ターニングポイントとして記憶されるだろう。この間に人間の根底を揺るがすような、iPS細胞の発見、生命科学の発展があった。3・11が襲ってきて、日本人は人生無常ということを受け止めた。一番鈍感だったのは科学者だった。かつて物理学者の寺田寅彦(1878~1935年)は、この先何が起きるか分からないと繰り返し、自然には慈母と厳父の二つの顔があると書いている。そして日本人というのは天然の無常観を内面化してきた民族だと言っている。その無常観をこの日本列島人は大昔から本来的に持っていて、そこに仏教が入ってきて、仏教的無常観が重なった形だ。

 3・11の地震で科学者は「想定外の地震が起きたんだ」と自己弁明したが、今回熊本の大地震が起きて、科学者としての自信が揺らいだ。最近私が考えているのは、想定内、想定外という二元論的思考は崩壊したということ。すべてを想定内として引き受ける覚悟、心構えがないと、「備えあれば憂いなし」とはいかない。根底にはいつ死ぬか分からないという意識、死の兆候がある。

 髙山 いまもニヒリズムというものがいろんな場面で現れていると思う。ヨーロッパの最大の危機は13~15世紀のペストがはやったときで、その頃の日本は末法の時代だった。その意味で世界と日本は共振しており、いまも危機は世界規模で同じく起きている。

 山折 危機の深まりを象徴的に示したのは、東日本大震災に伴う福島第1原発の放射能漏れ事故だった。そのことで思い出すのは、哲学者ヤスパース(1883~1969年)の発言だ。ヤスパースは戦後になって、ソ連の暴走を危惧し、核兵器、原発の問題が人類を不幸に導くという危機意識から論文「歴史の起源と目標」を書いている。ヤスパースは人類の歴史に貢献した大思想家たちが登場した紀元前800~同200年の間を「軸の時代」と言う。具体的にはソクラテス、プラトン、イエス以前の預言者、インドの仏陀(ぶっだ)、中国の孔子、老子などで、人間の生き方の基本を論じた。そこに学ばないと人類に未来はないとヤスパースは言っている。

 それなら「軸の時代」を日本に求めたら、どの時代になるか。それは後世に与えた影響の深さから言っても、鎌倉時代以外にはない。つまり法然、親鸞、道元、日蓮などを輩出した時代だ。いまや仏教も壊滅的な状態にある。

 髙山 いま、人間そのものの魂、生命力が弱まってきているのかなという気がする。あまりにも一面的にしか物事を捉えなくなっていて、多面的に捉える努力を怠っている。これもやはり効率主義が原因にあると思う。皆が幸せなら、それでいいじゃないかという考え方は優しいのだけれど、全部マニュアル化されていて、マニュアルにないものと出合ってしまうと、どうしていいか分からなくなってしまう。

 どう想像力を持っていくかだが、ぼくは「農」に返るしかないと思う。西南戦争(1877年)で西郷(隆盛)さんが求めたのは、「農民コミューン」だった。農民にこそ光を見いだしていた。ところが、中央政府はこれを恐れた。森羅万象への感謝と畏れが絡み合って生きる人たちが小さなコミューンを目指すと、近代主義国家を否定することになるからだ。

 山折 そこなんだ、問題は。本来の魂の強さ、命のありがたさというところに近づいていくためには、今日の状況でどうしたらいいのか。「軸の時代」までさかのぼっていくのに何か障害になっていることがあるとすると、近代教育の中で身に染みついた「時代区分」と「進化(進歩)」の観念だ。われわれはその枠組みにがんじがらめになっている。時代の壁を取っ払うには、進化の考えを根底からひっくり返す必要がある。そのとき立ち現れてくるのが、まさに神話的世界の問題ではないだろうか。

人の生き方

一人になること重要/必死だからこそ絶望

 髙山 新しい文明をなしていくとき、神話・伝説が出来上がっていくのだけれども、神話の原型をつくるのは、いにしえの昔から流浪者と決まっている。それを定住者が成文化し、民草を支配するシステムに仕上げていく。

 山折 文明論の転換でどこが問題になるか。私は「ノアの方舟」が問題だと考える。人類は神の意志に反して天罰を受け、大洪水にのみ込まれるが、ノアの一族だけが助かって、それが人類の起源になる。それは「犠牲と救命ボートの思想」である。そこから選民の思想が生まれた。

 -なるほど、今の世の中を見ていても、金持ちはどこまでいっても金持ちで、貧しい者は救われません。

 山折 今の経済的な成功は多くの犠牲者を前提にしている。それが近代文明の本質だ。根本の考えを変えないと、進歩と時代区分のくびきから自由になれない。

 -そういうときに、ヒントとなるような人の生き方はありますか。

 山折 日本では、時代の壁を取っ払おうとした13世紀の思想家たちがいる。

 -では、時代の壁をどうやってくぐり抜けられますか。

 山折 日本の「軸の時代」の思想家たちの生き方の根本は何かというところに行く。それは「一人になること」。

 髙山 熊本在住の思想家渡辺京二さんも「人間というのは自立をせねばならぬ人類史的段階に入ったんだ」とおっしゃる。中世日本の「軸の時代」の思想家たちは悪の問題を考えていたようだ。

 山折 悪の前で本当におののくのは一人であるときだ。群れていては悪の根源におののくことはありえない。

 -悪といえば、神奈川県相模原市の障がい者施設で一青年が19人もの障がい者を一息に刺殺する事件が起きました。青年は孤立しているように見えました。

 山折 「一人」と「個」は違う。人間は一人で生まれ、一人で死ぬと、この国の人々は大昔から誰もが言ってきた。「一人」は存在そのものから出てきた言葉だが、「個」は時間的な存在。障がい者を刺殺した青年は、「一人」を「個室」の中に閉じ込めて孤立した犯罪者だ。

 -3・11後は「絆」が強調され、社会は「コミュニケーション(能力)」を最優先で求めます。いまの若者にとって、一人であることは孤立しているようでつらい。

 山折 学生を見ていても1人よりも3人くらいで群れて遊ぶのが安定した関係のようだ。では、現代から親鸞や道元の時代に戻れるのかといえば、そのためにはやはり人類史の流れを理解する必要がある。

 現代までに革命が三つあった。一つは縄文期からの「農業革命」、二つ目は近代の「産業革命」、三つ目は現代の「科学技術革命」だ。仏教の末法思想で言えば、農業革命から産業革命までが「正法」、産業革命から科学技術革命までは「像法」、科学技術革命以降は「末法」の時代と私は見ている。仏教の歴史観を読み替えると、これからが末法で、末法の果てに光が見えてくる。しかし、その前に暗黒の世界に突入するかもしれない。

 -先頃亡くなったジャーナリストむのたけじさんは「絶望の中に希望はある」と言い、水俣の作家石牟礼道子さんは「苦海」の中に「浄土」を見ています。人生は逆説に満ちています。

 髙山 絶望というのは必死で生きようとするからこそ生まれてくるのです。必死で生きる成果の一つが絶望である。

 -障がい者家族の成人式を取材する機会が何度かあったが、障がい児が生まれてきたとき、両親は目の前が真っ暗になったと言う。しかし、その子を受け入れたとき、その家族には別な世界が広がるようだ。20歳になった子を前に、この子がいてくれて本当に良かった、この子が生きる原動力になったと百八十度変わる。

 髙山 ダウン症の人たちに幸福感を聞いた調査結果があるが、それを見て、ぼくはうっとりした。なんと80%前後が幸せと回答している。健常者と思っているわれわれは、彼らに学ぶべきです。

 染色体の異常で胎児に障がいがあるかどうか分かるが、出生前診断で障がいがあると分かると堕胎する親が非常に多い。

 山折 80%以上が堕胎しているという報告があった。

 髙山 だとすれば、残りの何%かの人たちが奇跡的に生まれてくるわけだ。ダウン症の子たちはほんとに穏やかな、いい顔をしている。

 山折 こちらが豊かになるね。
(京都市・新阪急ホテルで)


末法思想とは 釈迦(しゃか)が説いた正しい教えが世で行われ修行して悟る人がいる時代(正法)が過ぎると、次に教えが行われても外見だけが修行者に似るだけで悟る人がいない時代(像法)が来て、その次には人も世も最悪となり正法がまったく行われない時代(=末法)が来る、とする歴史観をいう。