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源ちゃん先生 46年ありがとう 教員生活にピリオド

2015年3月28日掲載

延岡工業高土木科での46年間の教員生活にピリオドを打ち、在校生に見送られる川添源吉さん=27日午前、延岡市緑ケ丘1丁目の同校体育館

 延岡市の延岡工業高(竹下弘一郎校長、720人)土木科で46年間教壇に立った川添源吉さん(76)=同市北一ケ岡=がこの春、教員生活にピリオドを打つことになり、27日にあった離任式で生徒たちに笑顔で送られた。顎に蓄えたひげがトレードマークで「源ちゃん」の愛称で親しまれ、延工OBら関係者なら誰もが知る名物先生。「何も思い残すことはない。幸福感で満ち満ちている」と万感の思いを込めて最後のあいさつをし、思い出の詰まった学校に別れを告げた。

 川添さんは1939(昭和14)年に満州で生まれ、45(同20)年に日本に引き揚げた。宮崎市の檍中、宮崎大宮高を経て、宮崎大工学部に進学した。東京五輪のあった1964(同39)年、県教委に採用され、初任校が延岡向洋高(現延工)だった。92年春から5年間、都城工業高で勤務した以外は延工で教員生活を送った、自他共に認める「延工の生き字引」だ。

 土木科専門の教員として、力学や水理学、土質力学などの授業を担当。60歳の定年退職後も講師として勤務し、通算46年で送り出した生徒は2千人近い。

 部活動にも熱心で、男子バレーボール部を県内屈指の強豪に育て上げた。同僚の故岩室富雄さん=2013年死去、当時75歳=との指導体制で全国大会に11度導き、1981(同56)年の滋賀国体では準優勝に輝いた。

 29年前、初任校が延工だった竹下校長は「まさに本校の魂。若いころは熱血漢で、76歳の今まで生徒、教育に情熱を傾けたその生きざまは、皆の脳裏に焼き付いている。本当に得難いものをいただいた」とたたえる。

 川添さんは離任式のあいさつで「源ちゃん、ようやくお暇をもらうことができました」と切り出し、半世紀にわたる延工での思い出や同僚、生徒への感謝を言葉にした。校歌斉唱では、ハンカチを手に涙ぐむ場面もあった。

 川添さんは「皆さんに支えられ、素晴らしい教員生活を送ることができた。今後は趣味のテニスや囲碁を楽しみながら、嫁さん孝行に精を出したい」と話した。