宮崎市佐土原町の親族宅で保管されていた根井三郎氏の写真
第2次大戦中のソ連(現ロシア)・ウラジオストクの総領事代理として、ナチス・ドイツの迫害から救う「命のビザ(査証)」を認め、ユダヤ人を日本へ渡航させた旧広瀬村(現宮崎市佐土原町)出身の外交官、故・根井三郎氏(1902~92年)の写真が、同町の親族宅に保管されていることが分かった。人道的立場からビザを発給した外交官の故・杉原千畝(ちうね)氏(1900~86年)と“命のバトン”をつないだ関係にある。根井氏については国内外で顕彰の動きが高まっているが、資料がほとんどなく、研究者は史実の解明に期待を寄せる。
写真は、35(昭和10)年に熱海海岸(静岡県)で撮影したスナップ写真や、えんび服姿の家族写真など数枚。杉原氏らの資料を集めている「人道の港調査研究所」(福井県敦賀市)の古江孝治代表は「外務省の人事記録以外の情報がほとんどなかった。研究の大きな一歩になる」と受け止める。
根井氏は旧広瀬村の福島地区で、谷口家の5人きょうだいの三男として生まれ、養子に入ったとみられている。
長崎県立大村中を卒業後、21年に外務省の留学生試験に合格し、当時の満州国の日露協会学校に入学。卒業後はハルピンやロシア、イランに駐在した。40年、ウラジオストク総領事館の総領事代理に任命された。
杉原氏はリトアニア領事館領事代理だった同年、ユダヤ人に同情し、日本通過のビザを独断で発行した。しかし日本外務省は「日独伊三国同盟」などへの配慮から、このビザを持っていても、ウラジオストクで再検閲するよう根井氏らに通告。事実上、日本への入国を認めなかった。根井氏は「(国際的な信用から)面白からず」と同省に電報を打ち、命令に背いて彼らを敦賀港(敦賀市)行きの船に乗せた。
その功績が国内外で知られるようになり、近年、杉原氏が日本人で唯一受けているイスラエルの「ヤド・バシェム賞」(諸国民の中の正義の人賞)に根井氏を推薦する動きが高まっている。
おいの富岡勉さん(84)、重人さん(72)兄弟=いずれも宮崎市佐土原町=は「退職した叔父に会ったが、守秘義務からか外交官時代の経験を語ることはなく功績を知らなかった。誇りに思う」と語る。
佐土原町の元村・福島霊園には「昭和33年根井三郎建立」と彫られた墓石がたたずむ。親族で墓を管理する谷口武さん(77)=同=は「ロシアから帰国し、鹿児島で入国管理事務所長を務めていた頃に建てたと考えられる。いつか宮崎に帰りたいと考えていたのでは」と話していた。