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厨房47年「好きやった」 「田舎家」岩田さん退職

2023年12月25日掲載

47年勤めた田舎家を年内で去る岩田ミチ子さん=20日午後、都農町の同店

 都農町下浜の岩田ミチ子さん(83)は、47年勤めた同町の飲食店「田舎家」を年内で退職する。病気がちで学校に通えず、さまざまな仕事を経験した末に落ち着いたのが田舎家の厨房(ちゅうぼう)。「好きな仕事だから頑張れて元気になった。こんなに長く勤まったことは自分でもびっくり」。店に続く国道10号の坂道を自転車で上るのも、29日で最後だ。

 岩田さんは海岸沿いの下浜地区出身で、6人きょうだいの4番目。病弱で小学校に通った記憶はほとんどなく、中学も「遅れて入学したけれど1カ月くらいで行かなくなり、ほとんど寝込んでいた」。

 15歳で働き始め、大阪に出て紡績会社で働いたこともあった。30歳を過ぎて都農町に戻り、結婚後は選果場に勤務した。1975(昭和50)年末に田舎家が開業。間もなくして、知人の紹介で厨房で働き始めた。

 チキン南蛮を目当てに遠方から客が訪れる繁盛店で、パートとして洗い物や料理の盛り付けを黙々こなすことが「忙しくても好きやった」という。店のおかみに頼られることが励みで、転んでけがをしても港町から自転車をこいだ。「ここに来てから寝込むようなことがなくなった」

 岩田さんには思い出すたび涙が止まらなくなる記憶がある。幼少時、体調が悪くて寝込むと決まって「えびすさんだか大黒さんだか」が眼前に現れ、自分を見つめた。父が戦死して生活は苦しかったが、何かの助けがあって健康になれたと信じている。

 83歳の今も元気で週3日勤務する。一方で「病気でもしたら店に迷惑がかかる」と感じ、年内での退職を申し出た。今月10日に店で食事会が開かれ、賞状をもらった。「勉強もしていないけれど、ここまでこれた。遊びにも出ず、仕事が好きだった」。最高のご褒美になった。

 店のおかみ・工藤節子さんは「延べ300人以上の従業員の中で唯一、創業と共に歩んだ欠かせない人。けがにも病気にも雨風にも負けず、仕事を休まない責任感は大きかった」と感謝する。

 退職後は所有する小さな畑で芋を育てて「遊ぼうかな」と岩田さん。1人暮らしの中、子どもや孫、自分自身の誕生日に家族が集まることが今後も変わらない一番の喜びだ。「店(田舎家)は大丈夫。後(後進)がおるから」。心穏やかに店を去る。